定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
古代の出雲の地は「鉄文化」の先進国でした。それまでの青銅器文化とは違い、硬くて強く当時最強の農具や武器として普及していきました。大陸からの技術伝播により、表日本だった当時の日本海沿岸地域にはたくさんの文化が技術者とともにもたらされてきました。
古代の書物に描かれる「肥の川」から採集される砂鉄は日本一の「玉鋼」を産み出しました。日本各地で生産されていきましたが、品質において出雲産の「玉鋼」に相当するものはできなかったようです。この製鉄作業で流れ出る赤錆で川が赤く染まり「火の川」と呼ばれたり、豊富な水量が地域の農作物を実らせたことで「肥の川」と呼ばれたりもしたようです。現在の「斐伊川」にあたります。
これに目を付けた大和王国は良質の「鉄」を生む砂鉄が豊富な「肥の川」が欲しくてたまりませんでした。
そこで「肥の川」を出雲王国から貰い受ける交渉を重ね、一本の「肥の川」を譲り受けたのが「国譲り神話」として語り継がれているのではないかと自分勝手に思い込んだりしています。
「えっ!…「肥の川」って「斐伊川」なんじゃないの?…「斐伊川」は今でも出雲の中心だよ!」という疑問にお答えしなければなりません。
もう1本の「肥の川」とは、鳥取県の西部を流れ美保湾に注ぐ「日野川」なんだろう…とこれも勝手に思っています。
古代の出雲王国は「2本の肥の川」…「日野川」と「斐伊川」の囲まれた地域から出発していった「鉄文化の先進国」ではなかったのでしょうか…。
(Friday)