スタッフのひとりごと

定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。

Diary

2020-06-26 どんな生き方してもいい。だかしかし。

現実として色々な考え方が世の中には存在する。
私もびっくりするくらい価値観が違う人に何度か出会い、割と深いと思われる関わりを経験してきた。 
「人様に迷惑をかけなければ(公序良俗に反しなければの意)、色んな考え方があっていいし、どんな生き方してもいい。」
これは昔、20代の頃師事したとある農家さんの受け売りだが、その後人生経験を経て40代となった今も自分のポリシーとなっている。
実際色々な考え方が世の中には存在するものだ。人と深い付き合いを多くすると色んな価値観にぶち当たる。
  
異なる考え方に直面したとき人は、突っぱねるか、受け入れる・もしくは受け入れられるかトライしたり思考を継続したりを選択する。
  
いずれも別に問題ないのだが、注意が必要となるケースがある。
それは異なる価値観に、情報として「正しい」「間違っている」を貼り付けてから突っぱねたりするケースだ。
似た表現に「普通~しない」というものがあるが、いわゆる常識に入るものであれば、「常識的に考えると普通~しない」と言ってもいいのかもしれないが、常識だかどうかも分からないことについて、まるで自分も「普通」というグループに所属しているかのごとく、「普通~しない」と言い、相手にマウントするために「普通」を振りかざし正しさを武器にする使い方を目にすることがある。
これは気を付けないと、かなり自分本位な偏った考え方になり、迫害に繋がる恐ろしさを持っている。「普通~しない」は自分の中の「普通」ではなく「常識の中の普通」だと思うのだが、なぜか「普通~しない」を乱用する人の多くは自分の中の「普通」という大変不確かな「普通」を使っているように感じる。
もしくは、「普通」のとらえ方が私とは違っているのかもしれない。
  
一方で、受け入れようとする場合はすぐには答えが出ないことが多い。答えの出ないことに対して考え抜く力が必要となる。
ネット社会、多様な個性のある現代では必要な力だと思う。もちろん、何でも受け入れて良い訳ではないので、思考した結果の判断力も必要となってくる。
  
そして判断に肝心要なのは感性。感性のない「己の中だけの普通」はもはや普通ではなく偏見ではなかろうか。
感性は、自分で色々な経験をしたり、色々な考え方え方に出会いショックを受けることで磨かれていく。
だからこそ、どんな過去も経験も無駄にはならない。だから躊躇わず変化を歓迎し、その経験を基に答えの出ないことを人生を通して考え続けることが大切なのだ。というのが昔師事した農家さんへの現段階のアンサーだが、今この話をすると「お前は考えすぎだ」と言われそうな気がしている。

(つかさ)

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