定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
私は、ご飯屋さんに行って、食べたものがとても満足度の高いもので、また別の機会で行っても満足度が高かったりすると、「この店は間違いない!」と思うようになるのですが、
そうなるとその後そのお店で何を食べても、美味しいと思っている気がします。
何か経験をしたとき、その経験を基に先に判断することが、経験を大事にするあまりに、もしくは判断を早くするために、知らぬ間に増えていってるように感じます。
しかし、一方で経験でざっと判断することで、実は勿体ないことになっていることもあるのではと思うのです。
例えば、私の場合「この店は間違いない!」と思い込んでしまうと、グルメじゃない私は味が変わってもしばらく気が付かないと思います。
そして、例え気が付いても、「自分の感覚が変?」等の別の理由を考えてしまうかもしれません。
他の人に「美味しくない」と言われると、そんな馬鹿なと思うかもしれません。
実は別のお店に行った方が新しい発見があったのかもしれません。
最近、こういうことが人に対してもそうだなと思うことが増えました。
主に、過去に嫌なことがあったりマイナスのイメージを抱いている相手に対してなのですが、「あの人は嫌だ。サイテーだ。」と感じてしまうと、その経験を基に何をされても一度決まった相手の印象はそう簡単には変わりませんでした。
色々と経験を経るごとにそれは顕著になっているような気もします。
しかし、実はそういう生き方は損をしているとも感じます。
相手のほんの一部を切り取って、そう感じてしまって距離を置いたことで、自分の人生に重要な可能性がなくなってしまったかもしれません。
見えなかった相手が持つ背景には気が付けなかった共感がたくさん潜んでいるのかもしれません。
必要と思っていた経験を活かすも、こだわると大事なことに気が付けないのかもしれません。
経験が弊害になりそうだなと感じたときから、自分が決めた印象を毎回リセットして、今現在の感覚で改めて感じ、新しく評価する癖をつける必要があるなと思うのですが、
やってみて、これは何と難しいことか。
何かの本で『経験を経て、次にやることは不要なものをそぎ落としてシンプルにすること』という記事を読んだことがあります。さもありなん。
これからはこのリセット力をテーマとしてやっていこうかなと思います。
(つ)