定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
社会人になった若い人たちにとって、苦手なものといえば「電話」だ!ということを聞いて久しい。
電話を使って仕事を進めるにはある程度の指導が必要だ!いう話を人事担当者から聞いたことがある。
そういえば、今の時代は「電話」のあり方が昭和の頃(私は昭和の時代に青春を過ごした世代)とは大きく変わっていることに気付く。
あの頃は「携帯電話」などという代物は存在せず、各家庭には1台の「電話機」という器械があった。設置場所は居間、ダイニング、玄関脇など通話を家族が何気なく聞ける状況でもあった。
「ただ今主人は出かけておりまして不在に致しております。帰りましたらお電話を差し上げますのでしばらくお時間を頂戴致しとう存じます。」といった母親の電話機を使った話し方を子どもたちは生活の中で聞いて育ったものだ。
大好きな彼女の声を聞きたくて電話を架けると、決まって怖い顔をしたオヤジが「もしもし…」と怖い声で出てきて、思いっきり電話を切ったりしたものだ。
そうしたいろいろな経験を経て、社会人となり仕事で電話を使うことになっても、特別のことではなかった。
今はどうだろう。「ポケベル」の時代が足早に通り過ぎ、家族の数だけ「携帯電話」があり、「通話」よりも「メール」や「LINE」などを使った連絡方法が主流となっている。明日の待ち合わせの約束も「10時松江駅改札前」で用が足りる。わざわざ会話をしなくても意思の疎通ができてしまう社会ができ上がってしまった。他人の電話での会話を聞く機会もなくなってしまった。
それと同時に相手の消息を思い浮かべながら「手紙」を認めることも日常的なことではなくなった感が強い。
昭和の頃は「mail」の和訳は「郵便」であったのだ。
子どもたちは家庭の中で個室が与えられ、自分の城を持つことができるようになった。プライベート空間が保障され、子どもたちを取り巻く環境が他者との関わり方をも変化させてきている。
これからの通信手段はどうなっていくのだろう。
「もしもし」という言葉が消えることがないように祈っている。
(Friday)