定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
踊ってきましたよ。盆踊り。
かれこれ10年ぶり?の盆踊りでした。
小さい頃は、両親や祖父母に誘われて毎年参加していた盆踊りでしたが、大人になるにつれて遠ざかっていました。
今年は父の13回忌ということ。そして数年前から母が盆踊りの口説きを始めたということもあって、久しぶりに皆で行ってみるかと、帰省した姉妹達と一緒に参加しました。
輪の中に入ってみると、ビックリ!10年ぶりでも踊れるのです。
わが町の盆踊りは、他の地域よりも難しい踊りと言われているのですが、10年のブランクを感じさせない盆踊りをすることができました。笑
身に沁みついているものなんだなぁと。
※そもそも盆踊りは、お盆に帰ってきた祖先の霊たちを迎え送るための念仏踊りとして始まった宗教行事で、誰もが参加でき祖先への思いを馳せ供養するための踊り。とのこと。
1時間位踊って帰宅しゆっくりしていたら、何もかまっていなかった携帯電話(siri)が勝手に起動・・・
「私はここにいます。」
お父さん!!家に帰ってきても怖すぎだからsiriを通して伝えるのはやめて~!!!と家族皆で叫んだお盆だったのでした。
あ~本当にビックリした。
(まめ)
今年の夏はものすごく暑かったですね・・。そして気が付けば朝晩涼しくなり秋の気配がしてきました。
ということで、この夏の出来事や感じたことを少し振り返ってみました。
「東京出張」
都会の人は暑さを感じさせない涼しそうな顔で歩いているので不思議です。また駅のホームに立っているときの熱風は、島根では感じることが少ないので結構つらい・・
そして使い捨ての汗ふきシートは、メンズ用がスースーして快適ということを今更ながら発見!
「エアコン必須!」
地域づくり団体さんへ訪問した際、エアコン故障中で汗だくに・・。
約10年前に別団体さんへ訪問したときは、事務所は倉庫でエアコンなし。服の上から下まで汗でビチョビチョになり本当に意識が朦朧としたことを思い出しました。(今では良い思い出です)
「石見地ビールフェスタ!」
江津市で開催!汗をかいた後のクラフトビールとはすごく美味しかったです。
天気が悪い日もありましたが、運営の皆さま、本当にお疲れ様でした!
「温泉津温泉夏まつり」
大田市温泉津町の夏祭り。花火は距離が近くて迫力満点!ローカル屋台多数のおススメ夏まつりです。
「ランタンづくり」
商店街の空き店舗を活用したBarが惜しまれつつ閉店。その後、別の方がコミュニティカフェをオープン!そこで開催されたワークショップでランタンを作りました。
「地域づくり応援助成金審査会」
今年度前期の審査会が無事に終了。採択になった団体さんはこれからが本番です!
今年の夏も行事が目白押しでしたが、熱中症にもならず何とか元気に過ごせました。引き続き秋に向けて頑張るぞ。
(フル)
夏の暑さと疲れを癒やす飲み会~♪
お盆が過ぎ、すこーーーし暑さも和らいでは来ましたが、まだ暑い!!!!
そんな夏の暑さと疲れ、日ごろの業務を癒やすため、当財団の「夏レク!!」本日あります!!!
今年度、幹事メンバーでの初のイベントですが、みなさんの笑顔と笑い声がたーくさんな時間になりますように☆
(ma3)
世にいうお盆は出勤でしたが、その間我が家には妻の姉と甥っ子が3人遊びに来ており、我が子と合わせて男の子が4人で大騒ぎ
我が子も甥っ子も普段会えないいとことの再会にテンション高く、普段寝る時間よりも長く起きていたりと満喫していたようです。
妻は妻で久しぶりに姉妹が揃い、連日夜中まで女子トークを繰り広げ、何もない自分だけが蚊帳の外で少しだけ寂しい気持ちになっていたことは内緒です。
久しく会わないうちに甥っ子2人は小学生、我が子の成長の早さにも驚く日々ですが、これまた驚き、子どもの成長は侮れないなと改めて感じました。
そんな中での最終日、お土産は何が良いかと聞かれ、スッと出てこなかった自分にゾッとしました…。
和菓子やウエダのワッフル、月ヶ瀬の団子など、思いつくのは日持ちしないものばかり。
もちろんすべて却下…
こんなとき何を勧めてあげると良いのか…お土産としての推し菓子探しがしばらく続きそうです。
(黒ラベル★)
お盆時期、実家でご飯を食べる機会がありました。毎回食卓には大量のきゅうりとトマトのサラダ、きゅうりとナスの漬物が並んでいた。食後のデザートはスイカ。
この時期は家庭菜園で色々な野菜が収穫され「おすそわけ」として実家にやってきます。
母はおすそわけをもらうプロなのです。
野菜果物だけでなく、米・魚など様々なものをいただいてくる。
「食費が浮く」と喜んでいただき、たまに手づくりのお菓子などをおすそわけする。もらっている方が圧倒的に多いとおもうのだが、手作りで珍しいケーキなどを渡すので喜ばれるらしいです。
田畑のない実家は野菜などの作物をいただき、お礼としてたまに加工品を渡す。田舎ならではの支えあう暮らしを実践していました。
島根に移住してもうすぐ20年、自分もですが両親もすっかり「島根の人」になっていました。
(ビッケ)