定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
私「paypay で支払います」
店「paypay だと5%バックありませんよ」
私「どれならいけます?」
店「(一覧を指差しながら)これらです」
私「なら、QUICPAYで」
店「はい」といいながら機械を取り出す
私「ピッ」とカードをかざす…
店「あれ?ダメですね」
私「じゃあ、もう一回」
店「いきませんね」この時点で後ろに次のお客さんが並ぶ
私「あっ!これAirペイの機械ですね…」
店「あれ?機械どれだっけ」
私「じゃー、LINEペイで支払いますよ」
店「では、お願いします」
私「あ!ごめんなさい。残高が…」
すぐにチャージするも、後ろお客さんはイライラの様子
店「ごめんなさいね。慣れなくて」
私「いえいえ、こちらこそです」
と無事決済を終え、後ろのお客さんに一礼して店を出た。
便利な世の中です。
(スマイル(^o^))
秋の松江の夜を楽しめるイベントとして定着した「松江水燈路」
https://www.suitouro.jp/
今年も、9月21日(土)~10月31日(木)まで開催!
平日は、国宝松江城のライトアップや、数々の行燈が楽しめます!
土日祝日は、無料開放される施設もあり、イベントや屋台も!
先日は、たまたまラジオで観光協会の方がPRされていました。
膨大な行燈の設置も数多くのボランティアが支えている現状を語られ、
(雨では出せない行燈…)美しいだけでなく、尊い灯りなのだと実感。
是非!松江城周辺の秋の風物詩を楽しみにお越しください。
(築)
普段、生活をしているとなかなか言えない本音をWEB上で表現してみる。それが許される。そんな性質を以前のWEBサイトは持っていたと思う。
でも、最近はSNS全盛。共感数が物を言う。
共感数を意識している書き込みや、尖って叩かれている書き込みを見ていると、本音で書ける人はどれだけいるんだろうな。とふと思う。
以前WEBでやっていたような本音のつぶやきは、皆今どこでやってるんだろう。
本音を言う場所は、雑誌だったり、ラジオだったり、サイトだったり、SNSだったりと、どの時代も少数派(マイナー)から。
今、どうなってる?
もしかして、記録が残らないリアルな場の方が、言いたいこと自由に言えるから、リアルな世界が本音を言う場になってる?
次の企画を考える上で、そういう情報はとても欲しいところ。だから同じようなことを考えている人がおられたら、ぜひ語り合いたい。
そしてこの「スタッフのつぶやき」ではやはり本音でつぶやこうと思うのだった。
(つ)
私の二人の娘は小・中・高・大(短)と、ずーとバレーボールをやっている。とは言え、栄光ある成績を残したことはほとんどなく(一度もなく?)
そして社会人になった今でも、地区のママさんバレーチームに所属している。
その今年の冬季全国大会は、沖縄であり、遠いこともあり、参加チームも少ないので、チャンスかも? もし勝ったら、私もそれぞれの孫共々沖縄について行こうと思っていた。
が、現実はそんなに甘くはなく、予選リーグは勝ち上がったものの、準決勝で無残に(結構圧倒的に)負けてしまった。
それにしても、30代40代の50代のママさんはタフで明るい。家事もこなし、子育てもし、もちろん仕事も持っている。
このエネルギーが世の中を支えているんじゃないかと思う!
女性たち、これからもがんばれ!!
(あっちゃんおばあちゃん)
先日実家の庭から外を眺めていると、50羽はいようか雀が群れで電線にとまっていた。
しばらくすると群れは一斉に蠢き、一つの意志を持った黒い生き物のように固まりとなって飛び立った。
私の実家は松江市にあるが、郊外の田園の広がる地域である。
私が小さい頃、およそ30年前は信号機もなく、舗装もあまりされておらず、農繁期には牛を連れたご近所さんが行き来、夜は真っ暗。そんなエリアだった。
今では開発が進み、高速のインターができ道路は整備され信号機が増え、飲食店や書店や電気量販店、ドラッグストアやホームセンターや会社の本社建ち、ちょっとした開発スポットになっている。
しかしそんなこのエリアでも田んぼは未だ残っている。我が家も9月は稲刈りに勤しんだ。
そしてこの時期になると、雀の群れは稲刈り後の落穂を狙ってやってくるのだ。今も昔もこの風景は変わらず我が家から見ることができる。
時は過ぎ、人も移ろい、あの頃と自分自身も周囲の人も変わりゆき、分かり合えずそのままになってすれ違っていった人達も、きっとそれぞれに変わっているだろう。そう、自分が変わっていったように。
その一方で、この蠢く雀の群れと同じように変わらなかったものもあるのだ。しかしそれも一時のこと。移ろい変わっていくのだろう。
それをこの手で守っていくのか、寂しいけれど受け入れていくのか。それはとても難しい問題。
けれども、誰かを助けながら求める方向へ向かって行くことならばできる気がする。雀の涙のような小さなことでも塊になれば、あの群れのように力強く。
「誰かのためになれるのならば」
立場が変わっても変わらないことのために、これからも毎日過ごしていこうと思った
(つかさ)