スタッフのひとりごと

定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。

Diary

2020-02-10 ナマケモノから学ぶ

ナマケモノと聞くと名前の通り、寝てばかりで怠けている動物というイメージがあります。しかし、実際のナマケモノは、生存するために完璧に適応した素晴らしい動物なのです。今回はそんなナマケモノのすごいところをご紹介します。
  
【かなりエコ】
世界一動きの遅い哺乳類であるナマケモノのトップスピードはわずか時速16メートル。このゆっくりな動きには理由があります。ゆっくり動くことでエネルギーの消費をギリギリまで抑え、食事は1日8gの葉っぱだけ。また、1枚の葉を消化するのに最大30日もかかるそうです。この生活スタイルであれば、少ない食料でも生きていくことができるため、食料不足になることもなく、環境にも優しい「エコな生活」を送ることができます。
  
【超平和主義】
主食の木の葉っぱは周りのナマケモノと種類がかぶらないように各々別の種類の葉っぱを食べます。これは、みんな同じ葉っぱが好きだと縄張り争いが起きるのでそれを回避しているんだとか。ナマケモノは仲間と協調しあいながら、野生ではありえないくらい平和に暮らしています。
  
ナマケモノは弱肉強食の野生の世界で、他の動物とは全く違うスタイルの生活を選んでいます。それにもかかわらず、絶滅危惧種にならずに生き抜いている様子を見ると、ナマケモノの生存戦略の素晴らしさを感じます。
  
そんなナマケモノに学ぶことは多く、我々人間もそれぞれいろんな生き方があり、無理に他人に合わせず、自分に合った方法で生きていくことが大切なんだと気づかされます。
私もナマケモノを見習って、自分の生き方を見直しながらマイペースに生きていきたいと思います。

(ポジティブな雑草)

2020-02-07 2月7日に何があった?

平成10年(1998年)2月7日、冬季オリンピック長野大会の開会式が行われました。夏季オリンピック・パラリンピックは東京で昭和39年(1964年)に続いて2回目が本年7月から開催予定です。
冬季大会は昭和47年(1972年)2月3日から2月13日までアジアで初めて開催された札幌大会に続き、長野大会を経験しましたが、令和12年(2030年)に再び札幌市が候補地として名乗りをあげました。
私たちの世代には昭和43年(1968年)に開催されたフランスグルノーブル大会の記録映画で流れた「白い恋人たち」や札幌大会のイメージソングだった「虹と雪のバラード」が特に冬季大会を思い出させるよすがになっています。
次回の札幌大会ではどんなパフォーマンスが繰り広げられることでしょう!
今年も立春を過ぎ、確実に春の訪れを感じ始める時期になりました。四季それぞれの美しさを醸し出す自然に恵まれた日本に暮らせる喜びを感じつつ、地球環境の変化に伴い季節の移ろいがぼやけてきています。同時に極端な自然災害が頻発していることに憂いを感じています。
酷暑の中での夏季大会、雪のない中での冬季大会などとジョークで笑い飛ばしていられればいいのですが!

(Friday)

2020-02-05 思いをはせて

先日の県外相談会のことです。
たくさんの移住相談の方々がお見えになりますが、先日は移住ではない「人探し」の相談を受けました。
間もなく喜寿を迎えようかという男性。
聞くところによると若かりし頃お世話になった社長と音信不通になり行方を捜している…その社長が隠岐の島町出身と言う内容でした。
11月に開催したフェアにもご参加され、役場の方にもご相談されています。
これまでの人生、闘病生活、島根の歴史文化などなど嬉しそうにお話してくださいました。
決して移住をご希望されている訳ではありません。
ですが、島根を好きでいて下さる様子がよくわかりました。
せっかく来ていただいたのに、私たちの力では「社長探し」の力にはなれない事をお伝えしましたが、「今日は本当に来て良かった!ありがとう」と言ってお帰りになりました。
翌日には御礼メールも頂き、社長は探せないけど、私を通して少しでも島根を感じて頂ければ良いのかな…と思った出会いでした。

(とんぼ)

2020-02-04 近視眼と遠視眼

加齢(嫌な言葉です)とともに、どんどん遠視が進行している。もともと視力は両目とも裸眼で2.0をずっと維持しており、最近の測定でも1.5はある。自動車の運転などは問題ないが、手元の文字等を見るのは老眼鏡(これまた嫌な言葉)が必要だ。
ところが、これが先々を見通す力となると逆転する。目先のことに拘泥し、先々の見通しは疎かにしがちだ。将来に備えて極力予測可能なことには手を打ってきたつもりだが、それも思い返してみると目先の損得で判断していたように思えてくる。
結局将来のことを考えるにも、そのための材料は今現在自分の手元にあるものから考えるから、そうなるのか…とも思えるが、やはり僕に決定的に欠けているのは「広く世間や社会の中における自分という立場における高邁な理想」なのだろうと思う。加齢とともに、僕が最も失い始めているのは身体的変化などよりも、夢や理想なのかもしれない。
「物事を近くしか見ることができない老人」「損得勘定でしか考えることのできない老人」いや、こりゃ駄目でしょう。自分がこんな人になっていくのは嫌です。
何も考えず、ふと浮かんだタイトルから思いつくままに文章にしてみましたが、少し気づきがありました。今回はこんなところで…

(たまみね)

2020-02-03 暗闇にある一つの灯

先日、久しぶりに停電を味わった。
停電の直前18:30頃、私は実家で親父と大変な口論を繰り広げていた。話題が家の将来について、そして意見が合わない。二人とも一歩も引かず、ヒートアップ。
最後にはひどい泥仕合。このままではらちが明かず、憤りながらも私は別室に移動。母親が父と何か話をした後、私のいる部屋にやってきたときだった。
「ぱちん」という音と共に、真っ暗。
  
最初、ブレーカーが落ちたと思ってスマホのライトアプリを使ってブレーカー見に行くも、違う。
まさかと思い外を見ると、周囲の家どころか付近一帯全部真っ暗。信号も点いていない。電力会社のHPを見ると、このエリアが停電と分かった。
家は少し昔の電化住宅。蓄電池もなく燃料で動くストーブもないので、じわじわと寒くなってきた。
「おーい、親父大丈夫かー?」
  
心配になり、父のいる居間に行ってみると、父は「おう」と一言。
さっきまで大喧嘩していたのに、二人とも冷静になっていた。
暗い中布団を持ち寄り、同じ部屋にみんな集まっていると、実家暮らしの弟もやってきた。
「ローソク立ててみようか」、仏壇から長いローソクを持って来て部屋の真ん中に立てた。ローソクは明るく、みんなの顔がちらちらと揺れた。
「この家に建て替える前の古い家のときは、停電が起こったときこうやって凌いだものだったなぁ」
皆、在りし日の祖父・祖母も一緒に暗闇の中の灯を見ていた、いつかの停電の夜のことを思い出し、あの頃の話に花を咲かせた。
  
そうしていると、方法は違うけれど、父は家族のことを思ってのことなんだと、なぜかストンと胸に落ちた。父も私に対してそうだったようだ。
そうしていると、2時間後復旧し電気が点いた。不思議と名残惜しかった。
これからも、大切な話のとき議論はぶつかると思うが、暗闇の中同じ灯を見つめ、同じことを思う者同士なら、信じて進むことができると、そう思った。
非現実は、時に人生に於いて重要なアクセントになるものだ。

(つかさ)

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