定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
今年も花粉症のシーズンになってきました。
花粉症の皆様は辛い時期がやってきたと暗い気持ちになっている事でしょう。
そういう私も30数年間花粉症を患っており、色々と対策を試してきた結果、現在ではしっかり対策をして花粉症とは「上手に付き合う」をモットーにこの時期を過ごしています。
花粉症対策でマスクを着用されている方も増えてきたこの頃ですが、先日の新聞にマスクを着けて人に会う時のポイントについての記載がありましたのでご紹介させて頂きます。
・マスクを着けたまま人と会う際にはマスクをしている理由を伝える。
・マスクを着けていると声がこもるので、普段より声は大きくハキハキと。
・相手に見える表情が目だけになるので、笑顔や身ぶりはやや大げさに。
・うなずく時は、腰から動かす。
・だらしない印象を与えるので、マスクをあごにかけない。
・マスクの表面にはウィルスが付いている可能性があるので、マスクの表面を触らない。
しっかり対策をして、乗り切っていきましょう。
(マンシンロウ)
ナマケモノと聞くと名前の通り、寝てばかりで怠けている動物というイメージがあります。しかし、実際のナマケモノは、生存するために完璧に適応した素晴らしい動物なのです。今回はそんなナマケモノのすごいところをご紹介します。
【かなりエコ】
世界一動きの遅い哺乳類であるナマケモノのトップスピードはわずか時速16メートル。このゆっくりな動きには理由があります。ゆっくり動くことでエネルギーの消費をギリギリまで抑え、食事は1日8gの葉っぱだけ。また、1枚の葉を消化するのに最大30日もかかるそうです。この生活スタイルであれば、少ない食料でも生きていくことができるため、食料不足になることもなく、環境にも優しい「エコな生活」を送ることができます。
【超平和主義】
主食の木の葉っぱは周りのナマケモノと種類がかぶらないように各々別の種類の葉っぱを食べます。これは、みんな同じ葉っぱが好きだと縄張り争いが起きるのでそれを回避しているんだとか。ナマケモノは仲間と協調しあいながら、野生ではありえないくらい平和に暮らしています。
ナマケモノは弱肉強食の野生の世界で、他の動物とは全く違うスタイルの生活を選んでいます。それにもかかわらず、絶滅危惧種にならずに生き抜いている様子を見ると、ナマケモノの生存戦略の素晴らしさを感じます。
そんなナマケモノに学ぶことは多く、我々人間もそれぞれいろんな生き方があり、無理に他人に合わせず、自分に合った方法で生きていくことが大切なんだと気づかされます。
私もナマケモノを見習って、自分の生き方を見直しながらマイペースに生きていきたいと思います。
(ポジティブな雑草)
平成10年(1998年)2月7日、冬季オリンピック長野大会の開会式が行われました。夏季オリンピック・パラリンピックは東京で昭和39年(1964年)に続いて2回目が本年7月から開催予定です。
冬季大会は昭和47年(1972年)2月3日から2月13日までアジアで初めて開催された札幌大会に続き、長野大会を経験しましたが、令和12年(2030年)に再び札幌市が候補地として名乗りをあげました。
私たちの世代には昭和43年(1968年)に開催されたフランスグルノーブル大会の記録映画で流れた「白い恋人たち」や札幌大会のイメージソングだった「虹と雪のバラード」が特に冬季大会を思い出させるよすがになっています。
次回の札幌大会ではどんなパフォーマンスが繰り広げられることでしょう!
今年も立春を過ぎ、確実に春の訪れを感じ始める時期になりました。四季それぞれの美しさを醸し出す自然に恵まれた日本に暮らせる喜びを感じつつ、地球環境の変化に伴い季節の移ろいがぼやけてきています。同時に極端な自然災害が頻発していることに憂いを感じています。
酷暑の中での夏季大会、雪のない中での冬季大会などとジョークで笑い飛ばしていられればいいのですが!
(Friday)
先日の県外相談会のことです。
たくさんの移住相談の方々がお見えになりますが、先日は移住ではない「人探し」の相談を受けました。
間もなく喜寿を迎えようかという男性。
聞くところによると若かりし頃お世話になった社長と音信不通になり行方を捜している…その社長が隠岐の島町出身と言う内容でした。
11月に開催したフェアにもご参加され、役場の方にもご相談されています。
これまでの人生、闘病生活、島根の歴史文化などなど嬉しそうにお話してくださいました。
決して移住をご希望されている訳ではありません。
ですが、島根を好きでいて下さる様子がよくわかりました。
せっかく来ていただいたのに、私たちの力では「社長探し」の力にはなれない事をお伝えしましたが、「今日は本当に来て良かった!ありがとう」と言ってお帰りになりました。
翌日には御礼メールも頂き、社長は探せないけど、私を通して少しでも島根を感じて頂ければ良いのかな…と思った出会いでした。
(とんぼ)
加齢(嫌な言葉です)とともに、どんどん遠視が進行している。もともと視力は両目とも裸眼で2.0をずっと維持しており、最近の測定でも1.5はある。自動車の運転などは問題ないが、手元の文字等を見るのは老眼鏡(これまた嫌な言葉)が必要だ。
ところが、これが先々を見通す力となると逆転する。目先のことに拘泥し、先々の見通しは疎かにしがちだ。将来に備えて極力予測可能なことには手を打ってきたつもりだが、それも思い返してみると目先の損得で判断していたように思えてくる。
結局将来のことを考えるにも、そのための材料は今現在自分の手元にあるものから考えるから、そうなるのか…とも思えるが、やはり僕に決定的に欠けているのは「広く世間や社会の中における自分という立場における高邁な理想」なのだろうと思う。加齢とともに、僕が最も失い始めているのは身体的変化などよりも、夢や理想なのかもしれない。
「物事を近くしか見ることができない老人」「損得勘定でしか考えることのできない老人」いや、こりゃ駄目でしょう。自分がこんな人になっていくのは嫌です。
何も考えず、ふと浮かんだタイトルから思いつくままに文章にしてみましたが、少し気づきがありました。今回はこんなところで…
(たまみね)