スタッフのひとりごと

定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。

Diary

2020-08-24 夏の思い出

今年の夏は県外の実家に帰省することも我慢し、ただただ大人しく県内で過ごしました。
とはいえずっと家にいるのも・・・と、思い立ち、涼を求めて山にキャンプ!
  
今回は奥出雲町の玉峰山森林公園キャンプ場へ行ってきました。
少し登ると滝もあり、夜空には満天の星、そして玉峰山荘の温泉も最高でした!
連日うだるような暑さが続きますが、山はとっても涼しかったです。
  
思い付きキャンプでしたが、素敵な夏の思い出が出来ました。
まだまだ暑さが続きそうです。皆さまもぜひ山へ!
  

(向日葵)

2020-08-21 ~石見銀山の大久保間歩ツアーに参加~

ヘルメット・長靴・ヘッドライトを装着!

人工物だけど、真っ暗な鍾乳洞のようなところを進むと
大きな空間にでました
人が削ったと思うと圧巻です・・・
夏でも気温10度な空間は.......ウルトラライトダウンを着て快適な温度です。

ハシゴ代わりの丸太や作業の光(ろうそく)体験など
昔の方々を感じれました!


せっかく、石見銀山行くなら
限定公開の大久保間歩ツアー行く価値ありな気がします~~
少し探検隊の気分も味わえてよいです!20200821_0.jpg20200821_1.jpg20200821_2.jpg

(つつ)

2020-08-18 日常のひとコマ 8月

・ひっくり返ったアブラゼミに蟻が群がる
・使用済みのマスクが落ちている
・未完成のツバメの巣
・雨の日を待って網戸を洗う
・マンションのビオトープで水浴びする大型犬
・手を繋ぎながら口論するカップル
・私の枕元でゲロした愛する飼い猫
・洗濯物が1時間で乾く暑さ
・カットスイカが売り切れていた
・吊り下げ式防虫ネットは効いている?
  

(おはぎ)

2020-08-17 「水無月」「神無月」の意味は?

旧暦の6月を「水無月」、10月を「神無月」と呼びます。
旧暦の6月は新暦の6月下旬から8月上旬、10月は10月下旬から12月上旬の頃にあたります。
皆さんは「水無月」の頃は雨が多い梅雨の時期にあたるのに、なぜ「水が無い月」と呼ぶのだろう…と疑問に思われたことはありませんか?
「水無月」や「神無月」に使われている「無」という文字は月の呼び名ができた時代よりもずっと後世に呼びやすく充てられた文字なのです。「無」は「な」と読みますが、助動詞「だ」の連体形の「な」には、直後に続く名詞に対して「の」とか「ので」という意味を込める用法で使われています。
したがって、「水無月」とは「水の月」、「神無月」とは「神の月」というように理解する必要があるのです。
出雲地方では旧暦の10月を「神無月」に対して「神在月」といったりしますが、「神無月」は元来「神の月」であるのです。
出雲大社は明治維新まで「杵築大社(きずきのおおやしろ)」と呼ばれていました。江戸時代には「お伊勢参り」ほどのインパクトを与える存在ではなかったようですが、出雲の御師の活躍があって全国に出雲の文化が広まっていきました。
今年の出雲大社での神迎神事は11月24日午後7時から稲佐の浜において催行されますが、コロナ感染の関係から一般の方の参列はできないようです。
静寂の中での厳かな神事を離れた場所から思い描きたいと思います。

(Friday)

2020-08-12 古くて新しい仕事・島田潤一郎さんが沁みる

先日、島田潤一郎さんという方の自伝を、ふらっと立ち寄った本屋さんで手に取りました。なんとなく惹かれて開いただけなのですが、その文体が妙に沁みるのです。
  
いわく、人間関係が苦手で、就職にはことごとく失敗し、兄弟のように育った従兄が事故で亡くなり、なんだかどこにも自分の居場所が無いように感じられ、ある晴れた日、ゆれるカーテンを眺めながら、ふいに自殺したくなった、と、まるで独りごとでも言っているかのように記していました。
  
不器用な自分を必要とする会社はなかった、従兄はいなくなってしまった、彼の記憶もいつかなくなってしまう、自分にはもう居場所はないのかもしれない。
  
でも、自分は働きたいんだ、と。
  
なんでもいいから、必要とされたいんだ、と。
  
それで、彼は亡くなった従兄のお父さんとお母さんに向けて、従兄が生きていた証しとして詩集をつくることを始めるわけです。
空白を埋めるように、詩集をつくるために図書館に通い、製本技術を学び、美しい装丁をしてくれるひとを頼り、生き始めるわけです。
  
ひとりで出版をするために、孤独ながら、不器用ながら「はたらくこと」に向きあう姿に心を打たれるわけです。
  
彼は、詩集を完成させ、ついにお父さんとお母さんに手渡し、そして、ずっとそのままになっていた従兄の洋服を焼くんです。彼の死との決別のために。
  
もうそのシーンが泣けて泣けて。
沁みるんです。
  
そこから10年。
  
ひとり出版社として年に3冊程度の本の復刊(廃版になった本の復刻)をつづけ、いまもひとりで出版を続けているそうです。
  
彼は「たったひとりのためにつくる、美しい本を、(数はすくなくとも)心を通わせあえるひとたちとつくること」に生きる喜びを見出しているそうです。
この仕事が好きだ、大好きだ、と。できるだけ長く続けたいのだ、と。
  
コロナだなんだと変化の激しい毎日で、「新時代に乗り遅れるなよ!」みたいな風潮もあったりなかったりする最近で、
なんだか心がざわざわ忙しいです。みなさんはいかがですか?
  
彼の生き方に、じんわりと大事なことを思い出させてもらっている今日この頃です。
  
おちらといきましょう。
  

(珈琲うどん)

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