定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
県外から移住して、未経験の林業で産業体験をしている方の現場に伺った。
(ひゃー!こんな山奥の現場まで、細い急な山道を運転して行くの?)
(わお!この急斜面で一日中、作業するとか!きつそう~)
(なんと・・・蜂だけじゃなくてダニにも噛まれたのですか・・・)
現場に向かいながら、そして話を聴きながら、多くの驚きがあった。
ご本人と話すと
慣れない地下足袋での山作業で足全体が靴擦れになった話や
虫、暑さ寒さとの闘いなどなど、いろいろと大変そうなのだが
事も無げに(むしろ楽しそうに)話される姿が印象的だった。
初めての事ばかりで、しんどい気持ちより、何もかもが新鮮な驚きなのだそう。
何よりも、班長さんはじめ周りの方が気遣ってくれるのが嬉しいと言われ
こちらも嬉しくなった。
大変さも魅力も多い、そんな山の仕事をチームワークで頑張ってほしい。
(築)
先日、生まれて初めて焚き火をしました。
(厳密に言うと、焚き火をしようとしている人を見つめていました)
というのも、11月27日に開催するオンラインイベントで放映する映像を
事前収録しており、そこで焚き火をしました。
焚き火未経験の私は、この日をワクワクしながら楽しみにしておりました、が、天候は、
あいにくの雨模様。。。
祈りながら収録に挑み、祈りが通じたのか、焚き火のパートを収録するときには、
無事、雨は止み暗くなり、ついでに震えが止まらないほど気温も下がり、絶好の焚き火日和(?)となりました。
ファイヤースターターという器具を使用し火花を起こし、麻ひもをほぐしたものに火をつけ、
そこへ小枝をくべ、少しずつ大きな薪をくべ、火を大きくしていきます。
裏で、ファイヤースターターを使わせてもらいましたが、不器用な私は、火の粉が全く出ず、かなり苦戦し、私は一人で焚き火はできない、と悟りました。(諦めました)
無事に焚き火が出来た時のテンションの上がり方は半端なく、収録中だったので、グッと飲み込みましたが、
収録がなければ、「ついたーーー!」と叫んでいたことでしょう。(自分が付けたわけでもないのに。。。)
収録後は、遅くなってしまったので早々に解散となってしまいましたが、もう少し早い時間であれば、みんなで火を囲みながら、焚き火で沸かしたお湯であったかいお茶を作り、飲みながらお話ししたい気持ちになりました。火は、ヒトを高揚させますね。
火をつける、という、ライターでは1秒で出来ることも、なかなかスムーズにいかないけど、その不便さも楽しいな、とアウトドアにハマる方々の気持ちがわかりました。
冬は、焚き火も楽しめるし、空気も澄んでいて、星空がとても綺麗なので、冬のキャンプにハマる方も多いそうです。1度やってみたい。
そんなこんなで、震えながら収録した映像が見れるのは、下記のイベントです!(宣伝)
もしよかったら、ご参加してみてください!
★11月27日開催
オンラインイベント『しまねでゆるキャンプvol.2 ~自然で楽しむ焚き火とシシ肉~』
https://www.kurashimanet.jp/event/detail/1095/
※申込締切は、11月19日(金)12時までです!
(しじみ)
私は、ご飯屋さんに行って、食べたものがとても満足度の高いもので、また別の機会で行っても満足度が高かったりすると、「この店は間違いない!」と思うようになるのですが、
そうなるとその後そのお店で何を食べても、美味しいと思っている気がします。
何か経験をしたとき、その経験を基に先に判断することが、経験を大事にするあまりに、もしくは判断を早くするために、知らぬ間に増えていってるように感じます。
しかし、一方で経験でざっと判断することで、実は勿体ないことになっていることもあるのではと思うのです。
例えば、私の場合「この店は間違いない!」と思い込んでしまうと、グルメじゃない私は味が変わってもしばらく気が付かないと思います。
そして、例え気が付いても、「自分の感覚が変?」等の別の理由を考えてしまうかもしれません。
他の人に「美味しくない」と言われると、そんな馬鹿なと思うかもしれません。
実は別のお店に行った方が新しい発見があったのかもしれません。
最近、こういうことが人に対してもそうだなと思うことが増えました。
主に、過去に嫌なことがあったりマイナスのイメージを抱いている相手に対してなのですが、「あの人は嫌だ。サイテーだ。」と感じてしまうと、その経験を基に何をされても一度決まった相手の印象はそう簡単には変わりませんでした。
色々と経験を経るごとにそれは顕著になっているような気もします。
しかし、実はそういう生き方は損をしているとも感じます。
相手のほんの一部を切り取って、そう感じてしまって距離を置いたことで、自分の人生に重要な可能性がなくなってしまったかもしれません。
見えなかった相手が持つ背景には気が付けなかった共感がたくさん潜んでいるのかもしれません。
必要と思っていた経験を活かすも、こだわると大事なことに気が付けないのかもしれません。
経験が弊害になりそうだなと感じたときから、自分が決めた印象を毎回リセットして、今現在の感覚で改めて感じ、新しく評価する癖をつける必要があるなと思うのですが、
やってみて、これは何と難しいことか。
何かの本で『経験を経て、次にやることは不要なものをそぎ落としてシンプルにすること』という記事を読んだことがあります。さもありなん。
これからはこのリセット力をテーマとしてやっていこうかなと思います。
(つ)
定住財団の仕事で以前知り合った方(当時は学生)が作った『合わせ柿』を先日購入させていただいた。
立派な立派な西条柿を、ドライアイスで渋抜きした合わせ柿。
甘くてとても美味しかった…
いつも思うのが、『ドライアイスでなぜ渋抜きができるのか』。
不思議だなあと思いながら、特に調べることもなく美味しく食べるのみ。
今回は作った彼に聞いてみたところ、
『抜いているわけではなく、感じなくなっているだけ』とのこと。
シブく感じる成分そのものがなくなっているわけではなくて、
舌で感じなくなっているんだそう…
そうなんだ…
いずれにしても不思議は不思議…
ドライアイスで渋抜きの方法って誰が考えたんだろう。
(発明?した人すごいなあ、と思います)
合わせ柿も旬の味ですね、美味しくたらふくいただきました。
(は)
「久しぶりにコンサート行って感動で涙出たわ~」と、地元高校の吹奏楽部演奏会から帰った母が言った。わかる。もし私も前みたいにライブに行って、会場一体になって歌ったりなんかしたら、きっと泣いてしまうだろう。これまで無意識に我慢をしてきたことの多さを一気に感じて、あの時、世界中のみんなが大変だったよねと世界の皆さんに思いを馳せるだろう。
今、新型コロナの感染者が減少し少しずつ出かけやすくなってきているが、これまで真面目な母は不要不急の行動を極力控え、絶対必要な通院や買い物以外での外出することも気が引けると言って、自粛生活を続けていた。全国的に大きな音楽イベントや舞台、映画や演劇だけでなく、恒例の地域のお祭りも集まりも全て延期または中止…
気晴らしをしようにも、その場所がない状況だった。
不要不急の行動を控えるという風潮の中で、一番ないがしろにされたのは芸術、文化、エンターテインメントだと思う。まるで生きる上で必要がないもののように、切り捨てられていたと思う。
だけどそれは本当なのか?
家と職場の往復だけの生活を1年以上続けてきて、こんなにも気持ちがすり減っているのは、そんな生活からは得られないものを、日常とは離れた別世界に行くことでもらっていたのだと思う。
私には応援したいと思う役者や歌手、つまり【推し】がいて、その人の作品や活躍に触れることで日常が華々しくなる。いつも感動をありがとうという気持ちで、商品購入はもはや恩返しだとも思っている。
推しの最新作のテーマである社会問題について意識するようになったり、新しい舞台の原作である小難しそうな戯曲も読むようになる。推しの存在は私の視野をも広げてくれる。
そんな人の活躍が制限されることはとても悲しい。
ある人気作家のインタビューを新聞で読んだところ、作家紹介欄で「推しの俳優のミュージカルが原動力」とあった。その作家も推しから力をもらい、日々の執筆の原動力になっている。そして、その作品がまたその作家のファンの原動力になっていく…
こうやって感動から生まれる力って循環しているよね…なんてことを考えながら、私は今日も推しの情報収集にいそしんでいる。
(りんご)