定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
日頃、UターンIターン移住相談の対応をしているので、島根の魅力を
常に感じる毎日。
私たちにとっては何気ない景色だが、季節を通じて魅力がたくさんあり、
楽しませてくれる。
6月は雨が多いが、木々が美しい季節。
中でも、あじさいは色とりどりに目を楽しませてくれる。
出雲市斐川町のロマン街道沿いには、毎年きれいなあじさいが咲いている。
近くで花びらを見たくて、歩いてみた。
小さい頃は、紫陽花の葉っぱにいるカタツムリの歩いたあとをよく見て
いたが、近年カタツムリも見なくなったなぁ。
あじさいの花言葉は色によって違うらしい。
「青=辛抱強い愛情」「ピンク=元気な女性」「白=寛容」。
花言葉からも母の日の贈り物には、ピンクのあじさいを選ばれるようだ。
また、紫陽花の色は土壌が酸性の時には青くなり、アルカリ性の時には赤くなる。
日本は火山大国であるため、酸性の土壌が圧倒的に多い。
前に、赤い紫陽花を咲かせたくて調べたら、卵の殻を粉々にしてパウダー状に
して、紫陽花に撒けば赤色の花の咲かせることが出来ることを知った。
日々、日本各地からの移住相談を受ける。
その土地土地の感覚があると思うので、移住者目線でその方のカラーに合わせて
丁寧に対応していきたいと思う。
(繋)
5月のある週末、近県へ登山に出掛けました。
1時間近く山道を歩き、山頂は360度の素晴らしい眺望!
時間を忘れて景色と会話を楽しみ、下山して近くのお勧めグルメも堪能♪♪
なんて充実した良い休日だっただろうと帰途につきながら・・・何かが足りない。
そうだ!お決まりの入浴を忘れていました。
山頂に長居したお陰で汗も乾いたためか、下山後は誰もが食欲に向かってしまい、準備したお風呂セットが泣いていました(笑)
思えば、県内の山に出掛けると近くに温泉があり、下山後はまず温泉!が定番でした。
今回は結局、近くに温泉が無く、遅くなったのでお風呂はパスして解散しましたが、登山と温泉がセットで楽しめる島根の山々はやはり魅力!!と気づいた出来事でした。
(築)
島根スサノオマジックの快進撃で盛り上がりを見せたBリーグ。
CS(チャンピオンシップ)ベスト4という偉業を成し遂げました。
実はここ島根県はもともとバスケ王国と呼ばれた地。昭和30年~40年前半までで、インターハイと国体で優勝4回、準優勝7回、3位5回、4位1回、5位4回と華々しい成績を残しています。
また、松江はミニバス発祥の地でもあり(諸説あり??)、バスケットボールの歴史が深い土地なんです。
今シーズンのスサマジの活躍は色々なところに影響を及ぼしているようです。
CSの戦いの後には、バスケファンがSNSで「島根に移住しようか真剣に悩み中」「就職は島根でしよう!」といった投稿をしてくれています。
「いつもの島根で、非日常の体験を」
しまね暮らしを選ぶ方が一人でも多くおられますように。
ちなみに、スサマジのオフィシャルチアパフォーマンスグループの「アクアマジック」も応援したいですが、凝視できない自分がいます。
(きょ)
学生時代、有志で立ち上げたフットサルサークルに入っていたことがありました。
強くはありませんでしたが、小さな町規模のトーナメント優勝を本気で目指していて、楽しいながらも厳しい先輩の元、引き締まった空気でやっていました。
次第に結果にもつながり、勝てることも多くなり、やり甲斐が出てきました。
しばらくして、後輩が入ってきたのですが、厳しめの空気が苦手だったのか、やめていく人がちらほらと。
そうこうしている間に先輩達も忙しくなり離脱。
次の代になったのですが、次の代は「厳しくしていくと若い子がやめていくし、気楽な楽しい雰囲気にしよう」という方針を取りました。
それから、少しの間は良かったのですが、次第に以前あった厳しさや、本気さがなくなり、緩くなっていきました。
サークルの当初の目的はなくなり、気楽に集まって楽しくやるような集団になっていきました。
私は自分が思う楽しさややり甲斐が見いだせなくなり、途中で脱退しました。
その後、聞いた話によると、初期メンバーはほとんど離脱して、残った人もそのサークルにこだわりもなく、
別のサークルに吸収されたような形で解散となったそうです。
「前は強かったのにね」と言われてたそうです。
楽しいことはいいことだと思っています。
楽しさはモチベーションを上げたり、パフォーマンスを上げてくれますから。
もともと能力の高い人の集団であえれば、楽しいだけでも十分強いと思います。
しかしこのサークルの場合、頑張らないと勝てないレベルだったので、楽しさだけでは難しかったです。
そして、今思えば「楽しくやって勝とう」ではなく、
「楽に」「気軽に」が前面に出てしまい、もともとサークルの目標だったトーナメントは度外視になったかなと思います。
練習もどうしても自己満に陥り、周囲のレベルに取り残されてしまったのかなと思います。
何か目標を掲げている以上、その組織には楽しさと厳しさは両方とも大事だと思うのですが、
何となく、このところ厳しさだけを槍玉にあげて排除する社会になっているような、
気が付いたら外の世界に食われてしまうような社会になっているような気がしてしまうのは、この学生時代の経験のせいと片づけていいものやら、何やらな思いを抱いております。
(つかさ)
22年前ですが、紛争が終わって間もないコソボに1ヶ月ほど滞在したことがあります。
街は破壊しつくされ、あちこちに急造の集団墓地があり、子どもたちが遊んでいた広場にはガラス破片やがれきが散乱したままになっていました。
交通の各要所には、戦車や重火器が配備され、治安は世界中から展開されたPKO部隊の軍事力によって守られていました。
それまで、私は「軍事力は一切不要」と思っていましたが、侵略された地域を守っているのもまた軍事力でした。
その恩恵で私の滞在も無事終えられたこと。あるいは、軍事力は不要だから攻撃されても反撃しないとはとても言い切れない自分に、「一切不要」という捉え方がいかに浅いものであったかを思い知った瞬間でした。(だからといって、今、軍事力が必要と思っているわけではありません)
あちこちで、「この子たちを助けて欲しい」と懇願され、悲惨な写真や映像を見せられます。
その度に胸が締めつけられるような思いがしましたが、当時、通訳をしてくれていた専門家からこう言われました。
「大人たちが、(ある意味、子どもを利用して)支援を求めるのは、常套手段だから、その一つ一つに惑わされない方がよい」
今、ウクライナ報道で、子どもたちの映像がたくさん流れてきますが、その度に当時の通訳の言葉を思い出します。(ウクライナの子どもたちが利用されているという意味ではありません)
話は変わりますが、仕事で保健所の業務支援に行く機会がありました。島根県は感染者から行動歴を聞き出し、積極的にPCR検査を実施しています。保健所の業務量は本当に大変なものでした。
しかし、人口の多い都道府県では、そこまで対応していないところが増えてきています。
最近、感染者数の減少傾向が報道されていますが、以前は検査で捕捉できていた感染者を追わないわけですから、本当に減少しているかどうかはわかりません。
私たちは、様々な場面で物事を捉えて判断していきますが、その根拠となる情報量や視点の複雑さや難しさを改めて痛感した最近の出来事でした。
(和)