定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
秋のテレビドラマ、個人的に久しぶりに最後まで見たいと思うものがいくつか。
『ファーストペンギン(堤さんシブい)』、『アトムの童(山﨑賢人はジャニーズじゃない←衝撃)』とあり、中でもドドドドドハマりしたのが、『silent』。
はじめは見ていなかったものの、勧められて見始めるとこれがもう刺さる刺さる‥
内容的に毎回泣く‥
良いタイミングで流れる髭男の曲でまた泣く‥
最近は泣いたら負けのような気持ちがあり、泣きそうになるのを必死でこらえながら見ているところです。
最新話では、「善意の押しつけは偽善だというセリフ(手話)」が出てきて、そのセリフにもいろいろ考えさせられました。
こちらは良かれと思ってしていることでも、受け手によってはまんま伝わっていない。
むしろ「偽善」「迷惑」と取られているかもしれない。
仕事柄、人と接する機会も多くあります。コミュニケーションは一方通行では成立しません。だからこそ、相手を思いやる、押しつけすぎないということに、改めて気づかされました。
みんなが幸せになってほしい。
こんな人たちばかりなら争いなんて起こらないのに(遠い目)
いろいろな気持ちにさせられる『silent』。毎週木曜日が楽しみです。
(黒ラベル★)
12月になり、
至るところでクリスマスイルミネーションがやっていたり
クリスマスの音楽がかかっていたりするようになりました
クリスマスって、何だかわくわくしますよね
楽しい気持ちにしてくれます
こころおどりますね
仕事も心躍らせて
年末まで駆け抜けたいと思います
(じゃーめい)
連日、話題となっているサッカーワールドカップ。
残念ながら日本代表はベスト16で敗退してしまいましたが、
その雄姿に感動した人も多いと思います。
個人的には、選手の皆さんが「4年間色んなものを犠牲にしながらここまでやってきた」という
ことをインタビューで語っておられたのが、すごく印象に残りました。
これまでは、試合内容や結果で一喜一憂するだけでしたが、その裏では、
選手ひとりひとりが、いかに日々の努力を積みかさねてピッチに立っているかが、
すごく伝わってくる内容だなと思いました。
また、今大会をもって代表の帯同シェフを退任される方についても話題になりました。
選手だけでなく、監督やサポートするスタッフ、家族のみなさん、それぞれが色々な思いを
もって、この大会が行われたんだなと思うと、何か不思議な感情が湧いてくるようでした。
感動と勇気をくれた日本代表チームの皆さんに、本当にありがとうという気持ちでいっぱいです。
(京)
最近、小さな子から教わることがたくさんあるなと感じることが多くなりました。
私の息子(保育園児)なのですが、自転車に乗るなり、楽器を演奏するなり、ダンスをするなり
まあ大抵のことが初挑戦です。
初挑戦すると、たいてい失敗します。うちの子は負けん気などが全くないので、
すぐにしゅん・・・としてしまい、「できない」と言って投げ出します。
親的には、初めてならこの程度できれば十分じゃないかと思うのですが、
Youtube等で見るスーパーキッズが、彼の基準になってしまっており、
「できない」と言っているのです。
彼なりのプライドがあるようです。
しかし、そこから色んな手を使って一先ず継続させてみると、それなりに上達してきます。
そうすると、自信がついて楽しくなってくるので、気が付いたら親がびっくりなんていうことがあります。
その頃にはもう周囲とは比較せずに取り組んでいたりします。
その姿に、周囲も嬉しくなって手助けしたくなりますし、私は純粋にすごいなと感じます。
そしてふと、大人の私も同じなのかなとも思います。
例えば任された仕事について、思うようにできないときや、
周囲の人と比べてしまい、自分の能力があまりにも足りない・・・と嘆いてしまうとき、
そのような嘆きは感じる必要がなく、
また、自分を大きく見せる必要はなく、
ただ自分ができることをやればよく、
不足しているなら、できることを次第に増やしていけばよく、
それでいいんじゃないかと、小さな子から勝手に感じ取っております。
(つ)
社会人になった若い人たちにとって、苦手なものといえば「電話」だ!ということを聞いて久しい。
電話を使って仕事を進めるにはある程度の指導が必要だ!いう話を人事担当者から聞いたことがある。
そういえば、今の時代は「電話」のあり方が昭和の頃(私は昭和の時代に青春を過ごした世代)とは大きく変わっていることに気付く。
あの頃は「携帯電話」などという代物は存在せず、各家庭には1台の「電話機」という器械があった。設置場所は居間、ダイニング、玄関脇など通話を家族が何気なく聞ける状況でもあった。
「ただ今主人は出かけておりまして不在に致しております。帰りましたらお電話を差し上げますのでしばらくお時間を頂戴致しとう存じます。」といった母親の電話機を使った話し方を子どもたちは生活の中で聞いて育ったものだ。
大好きな彼女の声を聞きたくて電話を架けると、決まって怖い顔をしたオヤジが「もしもし…」と怖い声で出てきて、思いっきり電話を切ったりしたものだ。
そうしたいろいろな経験を経て、社会人となり仕事で電話を使うことになっても、特別のことではなかった。
今はどうだろう。「ポケベル」の時代が足早に通り過ぎ、家族の数だけ「携帯電話」があり、「通話」よりも「メール」や「LINE」などを使った連絡方法が主流となっている。明日の待ち合わせの約束も「10時松江駅改札前」で用が足りる。わざわざ会話をしなくても意思の疎通ができてしまう社会ができ上がってしまった。他人の電話での会話を聞く機会もなくなってしまった。
それと同時に相手の消息を思い浮かべながら「手紙」を認めることも日常的なことではなくなった感が強い。
昭和の頃は「mail」の和訳は「郵便」であったのだ。
子どもたちは家庭の中で個室が与えられ、自分の城を持つことができるようになった。プライベート空間が保障され、子どもたちを取り巻く環境が他者との関わり方をも変化させてきている。
これからの通信手段はどうなっていくのだろう。
「もしもし」という言葉が消えることがないように祈っている。
(Friday)