定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
梅雨が明け夏真っ盛りである朝の列車通勤途中、
ある駅で停まっていると蝉の鳴き声が聞こえてきた夏を感じられると同時に懐かしさが甦ってくる。
私が高校1年から3年までの3年間、あの時も列車で同じルートを通学した。
TVで人気だったのが中村雅俊さんが熱血先生を演じる「われら青春!」というドラマであった。
工業高校生だったので上下関係が厳しくちょっと上から押さえられた感じがした青春であったが、楽しかった。
あれから半世紀が経ちまた同じように列車に乗っている自分が今ここにいる。
そしてそこに変わらぬ蝉の鳴き声、半世紀をまたぎ期待に満ちた青春時代を思い起こさせた。
(U)
高校最後の大舞台が始まりました。
北海道で行われるインターハイ
この大会にかける高校生の想い
今年は現地に行ってきます。
オンライン観戦で我慢したこの2年
勝ち負けはあるけど
最後の1秒まで闘う姿を応援する
この気持ちで一人旅
絶対珍道中^^ 行ってまいります!
(おき)
最近、和菓子屋へ行ってお茶と和菓子をいただくことが何度かあった。
きっかけは、息子が学校で松江のことを知る学習をした際に、松江の茶の湯文化について学んだこと。
江戸時代に「不昧公(ふまいこう)」として知られる松江藩主「松平治郷」が松江の茶の湯文化を築いたことや、松江が京都、金沢と並ぶ日本三大菓子・お茶処であることなどを教えてくれた。
さらに、学校で和菓子づくりを体験し、食べてみたら美味しかったようで、「和菓子屋に行ってみたい」と言うようになった。
初めて行ったお店は、店内の飲食スペースが広く、ゆったりとお茶と和菓子をいただくことができた。
小学生の子どもが来たことで心なしかお店の方も喜んで、「まだ小さいのに抹茶飲めるの?和菓子が好きなの?」と話しかけてくれた。
これまで行ったいくつかのお店では、それぞれにおすすめの和菓子があり、色々なお菓子を楽しむことができた。
私自身、コーヒーチェーン店や喫茶店に行くことはあっても、松江の文化であるお茶を飲みに和菓子屋へ出かけることはほとんどなかった。
松江市内には和菓子屋がたくさんあるし、明々庵や月照寺などでは茶室で抹茶をいただくことができる。
これからも子どもに連れられて、和菓子屋巡りをしてみようと思った。
(K)
今日は市内の学校は終業式。
こないだから少しずつ学校の荷物を持って帰ってきました。
「あ〜、夏休みだな」って思うのが、朝顔の鉢の持ち帰り。
夏休みの宿題で朝顔の観察が宿題として出るため、必ず持って帰らないといけない…
青や紫の見事な花を咲かせている朝顔。毎朝、子どもと花が咲いた数を数えたり、水やりしたり…
これからスタートする夏休みは楽しみなこともありますが、それ以上に子どもたちの宿題の進みと、過ぎて行く夏休みの日々に少し不安もありつつです…
来週からはラジオ体操も始まるので、普段より早起きができるのか…
早速、子どもたちとの戦いが始まりそうです(笑)
(misora)
「人生にはマージンが、つまり余白のような時間と空間が必要。
大人になってからの自発的な学びは自分の人生を考えるうえで不随する息抜きの用なもの」
最近読んだ冊子の特集記事『大人の学び直し(リスキリング)』に出てきた一文です。
ん?マージン?と聞くと最初にビジネスの「もうけ」や「手数料」の事が浮かびます。
調べると、もともとのラテン語の語源は、「用紙の縁」という意味で、それが英語のmarginになって、「余白」や「欄外」「余裕」 などの意味が加わったそうです。
そういえばWEBページ作成でのマージンは「余白設定」を意味したりします。
確かに、普段の生活の中にも「余白」や「余裕」としてのマージンが必要だと感じるシーンはあります。
本を読んだり、新しい知識や情報を自分のものにしたり、新制度、新方式など学んでスキルを得ることには時間や、それを取り入れようとする心の余裕も必要です。
いつも「そんな時間がない」とギリギリで、今まで通りのやり方に固執していては、学びは得られません。
余白が全くない、文字がぎゅうぎゅう詰めの広報物やレポートは見にくく、人を惹きつける魅力や効果に欠けます。
余白がいい味をだす、効果を引き出すように、日々の生活においても、マージンが必要だ!
それが学びへの意欲にも繋がるんだなぁと、なんだか最後はしっくりきました。
余白や余裕の意味でのマージンは、自分で意識して作りだしていきたいと思います。
(pino)