定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
先日(正確には9月5日)のこと、飲み物を買おうとコンビニに立ち寄った際に
「おせちの早期予約承り」というお知らせを目にしました。現物大と思われる大きさのおせちの写真、かなりのアピールぶりに目を奪われてしまったのですが、思わず二度見して足を止め、「もうですか?早すぎでしょ。」と心の中で突っ込みを入れてしまいました。
いやいや、やっと朝夕涼しくなってきて、この暑い夏を乗り切って、ほっと一息しているところに、おせちの予約って。
それでなくても年々一年が過ぎ去るのが加速度を増しているように感じているお年頃です。もう、今年も終わりが近いと言われたようで、せめてクリスマスケーキからにしてほしかったと思いながらコンビニを去ったのでした。
(ウ)
9月も10日を過ぎ、朝方はやや涼しく感じ、あれほど盛んだった蝉の声は小さくなり秋の虫達の鳴き声が勢いを増し始めています。
日中は未だ30度を超える暑さですが秋はもうそこまで来ています。
秋の楽しみは梨狩りやリンゴ狩り、栗拾いなど秋の味覚がその場でダイレクトに味わえることです。
リンゴ狩りは赤木へ行こかそれとも高野がいいかなと孫を連れて何処へ行こうか考えながら計画を練っているこの頃です。
今まで日中がとても長かったのに今では日もすっかり短くなって間もなく帰宅時間の頃はすっかり真っ暗になっていているでしょう。
そしてあと3か月後はもう師走真っ最中。1年は早いなとつくづく感じます。
師走と言えば 恒例のジャンボ企業博です。自分としてはほんの先日行われた感覚です。
今年も盛大で実りあるイベントになりますようにと今から祈っております。
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8月の終わりに、松江駅前再開発のニュースが流れ、驚かれた方も多かったのではないでしょうか。私自身も驚きとともに幼少期を振り返る機会となりました。私の祖父母が松江テルサができる前にほぼ同じ駅前のその場所で土産物店を営んでいました。幼少期には店内で遊んだり、お菓子を食べ、漫画を読んだりして過ごしていたことを思い出しました(漫画の見過ぎで目が悪くなってしまいました…)。道路を挟んだ向かい側の今もあるビルの前で昔ながらの遊びもしていました。小さいながらも商店街のようで土産物店が並び、飲食店や洋菓子店、衣料品店もあったと記憶しています。20代から30代は県外にでていたりして、地元の環境の変化にも鈍感でしたが、Uターンしてからは様々な街の変化に驚いたり、逆にイベントや行事がなくなったりしてがっかりしたりということもありました。
学生時代の友人と会うと必然的に昔の話をしたりしますが、今回のニュースがあったことで、幼少期を振り返るきっかけとなり、家族との会話でも少しですが、昔の話で盛り上がるよい機会となりました。
(KY)
9月に入り、季節で言えばもう秋ですが、今年見てない。一度も。
花火🎆
近所であった花火大会は仕事だったり、予定が合わずで見れず。
松江の夏を彩る『水郷祭』のタイミングは帰省しておらず見れず。
どうやら今年は花火を見ることなく1年が終わりそうです。
浴衣姿の人を見かけると、「お祭りですか?」「花火もあがるんですかね?」と、心の中で問いかけたりしましたが、特に調べるわけでもなく。元々人込みは好きではないので良いですし、ものすごく花火が好きで、花火に固執している!というわけでもありませんが、見れないとそれはそれで置いてけぼりをくったような寂しさが‥
昔から経験していた夏=花火を体感できなかったことが、この夏の終わりにボディブローのように効いてきているようです。
皆さんは今年何回花火を見ましたか?
来年こそは。そう思いながら、YouTubeで今年の水郷祭でも見ようかなと思っています。
(黒ラベル★)
現代、物事の価値感が目まぐるしく変わりゆくことを感じています。
特に情報技術の発展によって、あらゆる情報が素早く処理されるようになり、
音楽ではイントロも間奏もいらない。動画もまとめや高速再生。
次から次に情報が処理されていく中、生まれ育った若い世代はすでに思考が我々とは違っていることでしょう。
急激な少子化、高齢化、人口減少フェーズの日本はこれまでにない展開を迎えていきます。
過去の成功例は絶対ではなく、常に新しい方法を考えていく必要があります。
危機的な状況ほど、年長者はつい自分の経験をもとに考えがちになります。
良かれと思って、自分の経験則で頑なに考えがちになります。
特に現代の若い人たちは、自分たちの時代とはまったく違う思考パターンを持っていて、
ベテランの人たちにとっては、異質に感じることでしょう。
若い人たちは学校で自分を主張を言葉で表現する手法を勉強しています。
なので口が立ので、時に偉そうに見え遮ってしまうこともあるようです。
しかし、本当は口にしなかっただけで
自分達も若いころ、先輩に言えなかっただけで、「これはおかしい」という感情を持っていたはず。
遮るのは自分は言えなかったのにという理由も含まれているのかもしれません。
一方で、若い人は怒られることに慣れていません。
これは若い人は想像できないでしょうが、過去を知る人から見れば相当に違います。
それが良いことか、悪いことなのかは分かりませんが、
少なくともそのためか、是正されないまま子供っぽい思考・行動を大人になっても持っていて、
とても自己中な考えを持っていることがあります。
そんなときふと、学生のころ先生に言われた言葉を思い出します。
「本を読むと良い。特に過去の人間の愚かさやすばらしさを描き、できれば史実が良い。
現在と言っていることが同じならば、それは時代で揺るがない真実だ。それを注視しなさい」
なぜか、今もはっきりと覚えています。
本を読むと良くある展開。
年長者が若者を遮り、時代の流れについていけず国が滅んでいく。
若者を登用するも、昔の人が築き上げた人を大切にする心を非として蔑ろにする。
人々に閉塞感が生まれ、やがて争い合う。
時代変われど、同じ流れになってやしないかと感じてしまいます。
しかし、より良い未来に向かう展開もあり、
国が本当の困難に直面したとき、
年長者は頑なな思考をやめ、若者は年長者か築いた人としての心の大切さに気が付き、
世代を超えて取り組んでいく。そして次代に繋がるという展開。
これからの未来、世代間でぶつかり合うのではなく、
共に尊重していければ・・・と思います。
(つ)