定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
地元の墓地委員会の会計担当として現金を下ろそうとした。
元々キャッシュカードが存在しないからいちいち名義人の押印が必要となる。
その名義人は近所の高齢者だが、すでに養護施設に入居中だ。
このままじゃいかんと思い、郵便局で名義変更の相談に行くと
・会の規約
・会の活動実績
・現名義人の印
が必要だと言われた。
これまで規約など見たこともなく、前任者に聞いてみるも知らないとの返事。
つまり、口座を作った当時のまま何年も名義変更をしてこなかったようなのだ。
現名義人の健康状態も良好とはいえないなかで、このままにしておくべきではないのは明らかだ。
誰かが今後やってくれるだろうと先送りにしてきた歴代の通帳管理者を恨んだ。
先日、墓地で塔婆のお焚きあげをした。
天高く燃え上がる炎を見つめながら、自分がその「誰か」になろうと誓った。
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さて本年も「スタッフのひとりごと」をご覧いただき、心より感謝申し上げます。
来年も財団サイトにお寄りいただくすべてのみなさんのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
良いお年をお迎えください。
(蝮)
我が家の風物詩。年末の餅つき。
県外の親戚に送る分、自家消費分と、二日に分けて行う一大行事。
もち米を大量に蒸す作業(写真)から始まり、杵と臼でつき、こねて丸めて・・・
家族総出で行うのですが、和やかムードは途中まで。
終盤は皆、疲れて無言(笑) 終いにはとげとげしい言葉が飛び交うなんてことも。
そんな思い出いっぱいの餅つきも、この秋に最重要メンバー(義父)が天国に行ったことで
期せずして昨年が最後となってしまいました。
先日、少しだけ餅つき機で作ってみましたが、きめ細かさも美味しさも段違い。
やはり、杵つき餅は美味しい!
もう一度、あのつきたてのお餅を食べたいなぁ・・・と、物思いにふける年末です。
(築)
最近耳にした「タイパ」という言葉。「タイムパフォーマンス」の略語で、費やした時間に対する成果や満足度の度合いを表す言葉なんだそうです。
特に若い世代の中で、最近、この「タイパ」を重視する方が増えているそうで、動画の倍速視聴等は当たり前の感覚なんだとか。
昭和生まれの自分の若かりし頃を振り返ってみると、「お金はないけど時間と体力はある」とばかりに、安い鈍行列車で乗り継ぐ「青春18きっぷ」を愛用したり、1ページ分ずつ印刷し1冊ずつホッチキス止めする手作り文集を友達と発行したり…と、決して時間効率優先の行動はとっていませんでした。しかし、その中で得た経験の手触りは、今となってはかけがえのない思い出の一部です。
現代の若者と自分自身の若い当時を比較して、決定的に違うと思うのは、周りにあふれる情報の量。SNSの浸透により誰もが情報の発信者になれることで、リアルもフェイクも混在した幾多の情報がひっきりなしに生まれ、その差配に振り回されることもあります。
そうした状況の中では、「何に時間を費やすか」の判断が、時として「そこにいくら支払うか」の判断以上に重い意味を持つことは理解できるように思います。
ただし、「倍速する中で失うものもある」という観点も、本当に豊かな時間を得ようと思った時には大切な視点のように感じます。「無音や行間の中で表現されるもの」の味わいは、倍速・省略する過程では体験できません。
「効率を求めない中の豊かさ」、さらに言えば、「効率を求めないからこその豊かさ」が、確かにそこにあった。……というのが、昔々の思い出を手繰り寄せる中で思う実感です。
(でんでんむし)
年の瀬も押し迫ってきました。
毎年思うことですが、本当に一年経つのが早い!
特にコロナ禍では遠方への旅行はおろか友人との会食すら憚られ、
ここ数年は「何もしていないのに1年が過ぎていく」といった感じです。
(もちろん、別の楽しみを見つけた方もたくさんいらっしゃると思います)
実は私、誕生日が1月1日なのです。
そこであと10日に迫った誕生日に向けて、
『1月1日誕生日あるある』を紹介します。
・クリスマスと誕生日のプレゼント、お年玉をまとめられる
・子どもの頃は年中無休のスーパーやコンビニがなく、
お店が開いていないため、ケーキなどを買うことが出来ない
・年賀状に、誕生日と新年のおめでとうがまとめて並ぶ
・そもそも学校や仕事は休みで、声をかけられることがない
・正月準備に忙しい家族からも忘れられがち
こうやって書き出してみると結構悲しいエピソードが多いですね・・・。
でも何よりおめでたい印象があるのと、
インパクトの強さから話題にしてもらえることも多いのでありがたいです。
いくつになっても誕生日は嬉しいものですね。
(R)
コロナ禍もついに3年たつが、感染者数はいまだ収束せず、一進一退を繰り返している。厚労省の指針でようやく屋外では原則マスク不要となったが、外を歩けばまだ皆マスクをしている。
一方、レストランや居酒屋に入ると、マスクをはずし大声で談笑する景色が復活してきた。飲んだり食べたりする時は当然マスクをはずすし、自ずと会話もはずむ。これが人間というものだ。
ところが、一歩店外に出ると人の目を気にして反射的にマスクをしてしまう。感染リスクとしては店内の方がよほど高いと思うが、店内でははずし外ではつける。逆ではないか。マスクをすることがもはや形骸化しているように思える。
厚労省のお墨付きもあるので、「ではまず私から」と率先して屋外ではマスクをはずそうと思うのであるが、いざ、屋外に出るとやはり人目を気にしてマスクをしてしまう。
この季節は防寒のためにマスクをしていることもあるので別の意味ではずしづらい。
こんなことを気にせずマスクの着脱が自由にできる世に早く戻ってほしいものだ。
(ダボ)