スタッフのひとりごと

定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。

Diary

2020-07-02 ありがとう

毎日普通に一生懸命仕事をしている。それは職場をかわっても数十年かわらない。
その目的は、対価を得るため、自分の生きがい、社会貢献と時代とともに変化はあるが
自分の仕事へのスタンスは大きくはかわらない。意外と地味で華やかさはない。目に見える
達成感や成果の評価も曖昧である。けれど必要な仕事だと思ってやってきた。
今日、そんな仕事をしている私(正確には私達)に「ありがとう」と上司が、仲間が、声をかけてくれた。
日々もっとこうすれば良かったとか、こんな間違いをしてしまったとか、自分の仕事に満足しているわけではないけれど、「ありがとう」は、反対に、こちら側が生かされている気持ちにさせてくれる不思議な魔法の言葉となる。
「ありがとう!」
明日も今自分ができる仕事を一生懸命やろう!!

(あっちゃんおばあちゃん)

2020-07-01 憧れ

『空はどこに行っても青いということを知るために、世界をまわって見る必要はない。』
-ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
  
最近覚えた格言です。
  
私は生まれてからずっと島根に住んでいます。
学生時代は都会に憧れを持ち、島根から飛び出したい!と思っていました。
  
しかし、様々な事情によって都会に住むことは叶いませんでした。
同級生はみな都会へ出ていき、自分だけ取り残されているような気持になったこともありました。
  
しかし、島根に住み続けるうちにわかったことがあります。
  
都会に行かなくても、学ぶことは山のようにある。島根をより深く知ることで、
自分だけの知識や人脈、特技を身につけることができるのではないかと。
  
また、実際に仕事やプライベートで様々な地域へ行った結果、
「空はどこに行っても青い」という意味がよくわかりました。
  
では地面はどこに行っても同じでしょうか?
  
空に憧れるのもいいけど、今立っている地面を研究してみるのも楽しいですよと、
都会へ憧れる学生時代の自分へ教えてあげたいと思う今日この頃です。
  

(とっとこ公太郎)

2020-06-30 新型コロナウィルス

人は、身に付いた習慣や考え、行動をそう簡単には変えられない。
  
でも、これまでの常識に囚われず、固定観念を捨て、柔軟な対応が
  
できるかどうかが、今後試されるのかもしれない。
  
自然現象と同じで、社会システムの在り方に大きな“きっかけ”を
  
与えたことは間違いない、と思う。
  
  
Covid-19 何者だ! お前は!
  

(テニスマン)

2020-06-26 どんな生き方してもいい。だかしかし。

現実として色々な考え方が世の中には存在する。
私もびっくりするくらい価値観が違う人に何度か出会い、割と深いと思われる関わりを経験してきた。 
「人様に迷惑をかけなければ(公序良俗に反しなければの意)、色んな考え方があっていいし、どんな生き方してもいい。」
これは昔、20代の頃師事したとある農家さんの受け売りだが、その後人生経験を経て40代となった今も自分のポリシーとなっている。
実際色々な考え方が世の中には存在するものだ。人と深い付き合いを多くすると色んな価値観にぶち当たる。
  
異なる考え方に直面したとき人は、突っぱねるか、受け入れる・もしくは受け入れられるかトライしたり思考を継続したりを選択する。
  
いずれも別に問題ないのだが、注意が必要となるケースがある。
それは異なる価値観に、情報として「正しい」「間違っている」を貼り付けてから突っぱねたりするケースだ。
似た表現に「普通~しない」というものがあるが、いわゆる常識に入るものであれば、「常識的に考えると普通~しない」と言ってもいいのかもしれないが、常識だかどうかも分からないことについて、まるで自分も「普通」というグループに所属しているかのごとく、「普通~しない」と言い、相手にマウントするために「普通」を振りかざし正しさを武器にする使い方を目にすることがある。
これは気を付けないと、かなり自分本位な偏った考え方になり、迫害に繋がる恐ろしさを持っている。「普通~しない」は自分の中の「普通」ではなく「常識の中の普通」だと思うのだが、なぜか「普通~しない」を乱用する人の多くは自分の中の「普通」という大変不確かな「普通」を使っているように感じる。
もしくは、「普通」のとらえ方が私とは違っているのかもしれない。
  
一方で、受け入れようとする場合はすぐには答えが出ないことが多い。答えの出ないことに対して考え抜く力が必要となる。
ネット社会、多様な個性のある現代では必要な力だと思う。もちろん、何でも受け入れて良い訳ではないので、思考した結果の判断力も必要となってくる。
  
そして判断に肝心要なのは感性。感性のない「己の中だけの普通」はもはや普通ではなく偏見ではなかろうか。
感性は、自分で色々な経験をしたり、色々な考え方え方に出会いショックを受けることで磨かれていく。
だからこそ、どんな過去も経験も無駄にはならない。だから躊躇わず変化を歓迎し、その経験を基に答えの出ないことを人生を通して考え続けることが大切なのだ。というのが昔師事した農家さんへの現段階のアンサーだが、今この話をすると「お前は考えすぎだ」と言われそうな気がしている。

(つかさ)

2020-06-25 小学生時代の思い出

子供が小学生になったからなのか、最近自分の小学生時代をよく思い出します。
その中でも一番鮮やかな思い出として残っているのが「手振りばばあ」のこと。
山陰の有名な妖怪ではありません。
  
私の通っていた小学校は山陰本線沿いで、汽車が校舎脇をすり抜けていきます。
毎週水曜日の午後の汽車に決まって乗っているおばあちゃんが、掃除中の私たちに毎回手を振ってくれるようになりました。こちらもなんとなく手を振り返すのが恒例になってきたのですが、いつの間にか「毎週同じ汽車に乗ってるなんておかしい(?)」「あれは幽霊らしい(謎)」なんてことになり、気が付けば全校生徒がその汽車を今か今かと待ち、一斉に手を振り、笑顔で手を振り返してくれる気の良いおばあちゃんを見ながら「ぎゃ~~!!」「今日もいた!!」と悲鳴を上げるということが一種のイベント化していきました。運動会でもここまで一丸とならないよねってくらいの熱狂でした。
  
今になって考えてみると、毎週同じ汽車に乗ってたのはお仕事や病院からの帰りだったのでしょう。そして孫を見るような思いで、私たち小学生へ気持ちよく手を振っていただいてたのでしょうが、いつの間にか全校生徒が集まるようになり…なんか違うって気が付いてかな?気が付いていないことを祈るばかりです。
  
あの時のおばあちゃん、本当にすいませんでした。
良い思い出をありがとうございます。

(りんご)

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