定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
先週末に大きな台風が九州地方を襲い
県内も強い風が吹き荒れました。
それでも強風以外の影響はあまりありませんでした。
島根ではお年寄りから子どもまで
「島根は神様に守られているから大丈夫」
と言います。結構多くの県民がその様に思っているのではないでしょうか?
知り合いとこの話をしていたら
「それって神様が守っているのでは無く、災害が少なく住みやすいから神様が居るのでは?」と新説を出して来ました。
神様に守られている方が夢がありますが神様も自分の居心地を考えたら後者になるなぁと考えさせられました。
物事を見る方向を変えると見えてくるものが変わる
ちょっと考えれば当たり前のことですが、言われなければ見えてこないものです。
何事も片側から見るだけで無く、多角的な視点を持っていかなければと改めて感じさせられました。
(ビッケ)
体力低下を感じるこの頃です。
自宅で過ごす時間が増えたせいか、残念ながら、体重は順調に増えていきます。これまで財団に出勤する際には、迷わずエレベーターに乗ってしまっていました。健康診断が近づき、これではいけないと、5分だけ身体を動かすことにしました。
簡単なエクササイズなのに、始めた頃は最後までついていくこともできません。ところが毎日続けているうちに、近頃は最後まで出来るようになりました。ちょっとだけ、体力がつきました。
運動の効果は体力だけでなく、気持ちの面でもありました。私の場合、音楽を聴きながら、身体を動かすことに集中していると、気持ちの切り替えがしやすいです。同時に、過去の楽しかったことや嬉しかったことを思い出すと、一時でもその時に気持ちが戻れ、気分も上昇です。おススメです♪
(hana)
真夏日が続き夏の気分が抜けませんが、季節は秋も半ば。
週末に田舎に帰ったところ、台風の接近も相まってか、稲刈りをしている田んぼを多く見かけました。
ちょうど家にも新米が届いたので、おいしくいただいたところです。
他にも南瓜や栗、葡萄、無花果が畑で取れたり、ご近所からいただいたり…。
もう少ししたらさつま芋や柿、山に入ってむかごやアケビを採るのも楽しみです。
スーパーで旬のものが並ぶのを見るのも楽しいですが、“地のもの”を直接食卓に出せるのは田舎ならでは。
なにげに贅沢なことだな~と再確認した週末でした。
(大福)
先日、義母が作ってくれたナスの味噌炒めを食べた瞬間、母のナスの味噌炒めを思い出しました。
同じ味にびっくりし、思わず「母と同じ味がする!」というと「あらそう?(^^)」とお義母さん。
東日本から島根に来て基本の調味料や味付け、だしなど育った環境との違いを感じていたのですが、
思わぬ一致となつかしい味になんだか嬉しく思ったのでした。
大学進学と同時に実家を出ており、以後、母の味を食べられるのは帰省時の年に数回。
そのチャンスにも食べられるメニューは限られます。前回、食べたのはいつだったか全く記憶にもありません。
そして決してメインとなる料理では無いですが、私の味の記憶にしっかりと残っていました。
コロナの影響もあり、帰省できずまもなく1年。
ひさびさにテレビ電話でもしてみようかなと思った食卓の時間でした。
(幸子)
気付けば8月も終わり、9月も半ばに差し掛かろうとしています。暑さも一時期に比べ和らいできて、店頭には秋物の商品が並びはじめるなど夏の終わりを感じる今日このごろですが、私が夏の終わりを感じるものの一つとして某TV局の24時間番組があります(テレビっ子なので。笑)。いつもガッツリ観るわけではないですが、合間合間で観ては感動して涙を流し、エンディングの曲が流れると「あぁ、夏も終わりだな…」と感じるのがお決まりです。
毎年、見終わったあとは五体満足に生まれて不自由なく生活している今の自分がいかに幸せであるかを痛感し、「もっと今に感謝して一日一日を大切に生きなきゃ!」と襟を正されるのですが、今年はそれに加えてなんとなく日本全体の一体感のようなものを感じました。それは、「コロナ禍でも前を向いて進む。少しでも笑顔ある日常を取り戻したい。」という気持ちからくる一体感です。
100人の人がいれば100人の生活様式があり、文化も違えば考え方も違うけど、殊にコロナについては日本だけでなく世界が今同じ気持ちに向かっている、そんな気がしてこんなことってなかなかないよなぁ…と感慨深い思いになりました。(大げさかもしれませんが)
だからどうってわけでもないし、コロナというネガティブなものから生まれる一体感ってどうなんだろう?とも思いますが生まれて初めて芽生えた感情だったので言葉にしてみました。たわいもない初秋のひとりごとでした(笑)
(basa)