定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
本日3日は、桃の節句であり、ひな祭りですね。
我が家の二人の娘も大きくなり、幼い頃に比べて成長の大きな変化をあまり感じなくなったためか、成長を祝うという前提を忘れてただ、飾るのみになっていた気がします。
ただ、今年は長女が島根を離れて進学し、一人暮らしをはじめ、春休みで帰ってきた中でのこと。
また、次女は来春高校受験を控えて進路を考え日々悩んでいる年であることなどもあってか、感謝や心配などの複雑な思いを感じながらの飾りつけでした。
(飾りつけといっても、箱入りなので段ボールから出して、雛あられや金平糖を添えるだけでしたが・・汗)
長女は甘やかしすぎたかなと思うくらい、転ばぬ先の杖を渡し過ぎた気がしていましたが、アルバイトの経験などもあって、いろいろ気を遣えるようになりました。
次女は独特の世界観を持っていて、自力で色々何でも取り組み、のほほんと過ごしているのだと思っていましたが、姉がいなくなって少し寂しさを抱えた私たち夫婦をなだめるような行動が多くなってきました。
見えない中で、成長しているんだと実感している今日この頃です。
追記:しまい忘れると嫁に行き遅れるといわれていますが、敢えてしまい忘れようかなと思うのは良くないですね!
(雀)
今日から3月
月並みですが、あっという間の年度末です。
コロナ禍になってからは更に時間の速度が増したように感じます。
色々な行事や外出を控えながら、季節感はどうしても希薄になりがちです。
この生活も慣れてはきましたが、月日の経過はどうしても早く感じてしまいます。
そんな中ですが、例えばうちの子が通う保育園では、このコロナ禍でも季節感や節目を忘れないよう、
先生たちが様々な工夫をしてくださっています。
そのお陰で、保護者にとっても希薄になりそうな季節感を保つことができているように感じています。
それがなかったら、恐らくもっとあっと言う間に感じていたことでしょう。
3月は色々と動きのある月。いつも気が付いたら年度末になり、人の移り変わりに心揺さぶられます。
希薄になりがちなこの時代だからこそ、色々な工夫をしながら一日一日大事に過ごしていきたいと、そう3月の初めに思いました。
(つ)
ある人から「ご自分はどうしたいんですか?」と聞かれて、返事に詰まったことがあります。
・・・私ってどうしたいのだろう?家族はこうしたいのだろうし、子供はこうしたいのだろう、だったら私はこれでいいやという思考回路でしか生きていない。
子供から「おかあさんは何色が好き?」って聞かれても、「なにを食べたい?」って聞かれても、すんなり出てこないことは薄々感じていました。
長年使うものだったり、みんなで使うものなら飽きのこない色でないと…とか、私が食べたくても子供が食べないだろうな…とか。そんなことを考えると、「みんなの好きなのでいいよ」という返事になってしまう。
それで全てがうまく回るならそれで良いと思っていたけど、本当はそうではなかった。
みんなのために我慢しているという気持ちは、心の奥底に沈殿していくものなのだなと。
子供もそこそこ手が離れるようになってきたので、これからはもっと自分のやりたいこと、好きなことに耳を傾けて、自分を大切にしていきたいと感じる今日この頃。
もっとわがままに生きること、これを今年のテーマにして過ごしていきたい。
とりあえず、前から気になっていたDVDをポチるとしましょう!
(りんご)
「世の中、便利になったもんだ。昔はな~、・・・・・・。」とそれこそ昔は親爺や近所のおっちゃんたちによく言われたものだった。そして、今は自分がこの常套句を使う年回りになった。
冷蔵庫、洗濯機などの電化製品や自動車etc。そしてこれらにIT技術が付加されて進化が半端ない。人が手間をかけ、時間をかけ苦労しながらやってきたことが、今では誰でもボタンをワンプッシュするだけで、いとも簡単にことがこなせるようになっている。
先人が多くの犠牲や苦労・失敗を積み重ねて、「こうなればいいのに」を形にしてくれた。おかげで苦労いらずの便利な生活を送れるようになった。ありがたや。
その一方で便利さにどっぷりとつかってしまい、これでいいのかなと心が何となくざわついている自分がいる。
いや俺だけじゃないぞ! 「自然回帰」のキーワードはよく耳にするし、最近の流行りでいくと焚火やソロ・キャンプなど、自然に身を置く、不便さを楽しむ、そんな人が増え始めている。
ひょっとしたらこれは単にトレンドではなく、退化に歯止めをかけようとする人類の本能がそうさせているんじゃないかと勝手に紐づけて納得している。
(春よ来い 青蛙)
2月も下旬を迎え、1か月もすれば美しい桜を楽しめる時期がやってきます!
明治時代以降ソメイヨシノという品種が主に川沿いの堤防に植えられてきました。これは川の氾濫等の災害を防ぐための国策だったようです。桜見物で人々が堤防を歩くと自然に踏み固められ堤防が強固になる…という訳です!
今でこそ花見は「桜」になっていますが、奈良時代の花見は「梅」だったようです。
当時は遣唐使の派遣で唐から文物が入り、日本の文化も唐に倣うことが多かったようです。ですから当時の貴族は唐の文化に倣って「梅」を愛でながら歌を詠むことに勤しんでいました。万葉集には「梅」を詠んだ歌が110首程度、「桜」を詠んだ歌が40首あまり掲載されています。
そして時代流れ平安時代を迎えます。
894年に遣唐使が廃止されると日本独自の文化が栄えてきます。そして花見は「梅」から「桜」へと変わってきます。これは嵯峨天皇が「とりわけ桜が好きだった」ことにより(他の説有り)、平安京の紫宸殿南庭に植えられたのが「右近の橘 左近の梅」から「右近の橘 左近の桜」に変わり、以来花といえば「桜」となっていきました。この時代を代表する古今和歌集に詠まれた「梅」は20首程度、「桜」は70首ほどが掲載されるまでに変化をみせています。「久方の ひかりのどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ」と紀友則が詠んだ歌は有名です。
花見といえば豊臣秀吉が催した豪勢な「醍醐の花見」が有名ですが、一般の人々が花見を楽しむようになったのは江戸時代に入ってからのようです。
今年もまた花見の時期を迎えます。日本の桜100選に島根県では「松江城山の桜」と「斐伊川堤防の桜(雲南市木次町)」の二つが選ばれています。コロナ禍で何かとストレスを感じる日々ではありますが「桜」をそして「春の到来」を楽しむ気持ちは大切にしたいと思っています。
(Friday)