定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
こどもと朝登園するときに車の中でEテレをみています。「日本語であそぼ」はいつも面白くて好きですが、そのなかでも「平家物語」をロックに歌う、うなりやべべんさんの声がよくて、「私もCDほしい!」と思って早速検索。(ほんとにほしいのはCDで買う派)
100曲入りの「日本語であそぼ」の音楽CDが届きました。しかし、曲数が多くて、うなりやべべんさんの「平家物語」が見つからない。(CDは2枚組で100曲)。やっとのことで探したのですが、三味線だけで弾き語るアコースティックバージョンだったのでした。「いや、思ったのとちょっと違う」と残念に思い、さらにさらにあの平家物語が聞きたい、とネットをさまよっていると、衝撃のニュースに出くわしました。なんと、うなりやべべんさんはすでにお亡くなりになっていました、しかも2015年。。。もう7年も前。ということは、私が最近みたEテレは以前の録画だったのですか。。。一家そろってうなりやべべんさんに心奪われてだしていたのに、もう本人不在とのことで、新たな楽曲が生まれないことはもちろん、ライブも見れないのねと、がっかりでした。今更ながら、べべんさんにご冥福をお祈りしたいのと、「古典ってやっぱりいいなー、音楽に載せるとまた違った良さがでるなあ」と感じました。100曲の日本の古典を子供と一緒にこれからも楽しみたいと思います。
(かん)
本日3日は、桃の節句であり、ひな祭りですね。
我が家の二人の娘も大きくなり、幼い頃に比べて成長の大きな変化をあまり感じなくなったためか、成長を祝うという前提を忘れてただ、飾るのみになっていた気がします。
ただ、今年は長女が島根を離れて進学し、一人暮らしをはじめ、春休みで帰ってきた中でのこと。
また、次女は来春高校受験を控えて進路を考え日々悩んでいる年であることなどもあってか、感謝や心配などの複雑な思いを感じながらの飾りつけでした。
(飾りつけといっても、箱入りなので段ボールから出して、雛あられや金平糖を添えるだけでしたが・・汗)
長女は甘やかしすぎたかなと思うくらい、転ばぬ先の杖を渡し過ぎた気がしていましたが、アルバイトの経験などもあって、いろいろ気を遣えるようになりました。
次女は独特の世界観を持っていて、自力で色々何でも取り組み、のほほんと過ごしているのだと思っていましたが、姉がいなくなって少し寂しさを抱えた私たち夫婦をなだめるような行動が多くなってきました。
見えない中で、成長しているんだと実感している今日この頃です。
追記:しまい忘れると嫁に行き遅れるといわれていますが、敢えてしまい忘れようかなと思うのは良くないですね!
(雀)
今日から3月
月並みですが、あっという間の年度末です。
コロナ禍になってからは更に時間の速度が増したように感じます。
色々な行事や外出を控えながら、季節感はどうしても希薄になりがちです。
この生活も慣れてはきましたが、月日の経過はどうしても早く感じてしまいます。
そんな中ですが、例えばうちの子が通う保育園では、このコロナ禍でも季節感や節目を忘れないよう、
先生たちが様々な工夫をしてくださっています。
そのお陰で、保護者にとっても希薄になりそうな季節感を保つことができているように感じています。
それがなかったら、恐らくもっとあっと言う間に感じていたことでしょう。
3月は色々と動きのある月。いつも気が付いたら年度末になり、人の移り変わりに心揺さぶられます。
希薄になりがちなこの時代だからこそ、色々な工夫をしながら一日一日大事に過ごしていきたいと、そう3月の初めに思いました。
(つ)
ある人から「ご自分はどうしたいんですか?」と聞かれて、返事に詰まったことがあります。
・・・私ってどうしたいのだろう?家族はこうしたいのだろうし、子供はこうしたいのだろう、だったら私はこれでいいやという思考回路でしか生きていない。
子供から「おかあさんは何色が好き?」って聞かれても、「なにを食べたい?」って聞かれても、すんなり出てこないことは薄々感じていました。
長年使うものだったり、みんなで使うものなら飽きのこない色でないと…とか、私が食べたくても子供が食べないだろうな…とか。そんなことを考えると、「みんなの好きなのでいいよ」という返事になってしまう。
それで全てがうまく回るならそれで良いと思っていたけど、本当はそうではなかった。
みんなのために我慢しているという気持ちは、心の奥底に沈殿していくものなのだなと。
子供もそこそこ手が離れるようになってきたので、これからはもっと自分のやりたいこと、好きなことに耳を傾けて、自分を大切にしていきたいと感じる今日この頃。
もっとわがままに生きること、これを今年のテーマにして過ごしていきたい。
とりあえず、前から気になっていたDVDをポチるとしましょう!
(りんご)
「世の中、便利になったもんだ。昔はな~、・・・・・・。」とそれこそ昔は親爺や近所のおっちゃんたちによく言われたものだった。そして、今は自分がこの常套句を使う年回りになった。
冷蔵庫、洗濯機などの電化製品や自動車etc。そしてこれらにIT技術が付加されて進化が半端ない。人が手間をかけ、時間をかけ苦労しながらやってきたことが、今では誰でもボタンをワンプッシュするだけで、いとも簡単にことがこなせるようになっている。
先人が多くの犠牲や苦労・失敗を積み重ねて、「こうなればいいのに」を形にしてくれた。おかげで苦労いらずの便利な生活を送れるようになった。ありがたや。
その一方で便利さにどっぷりとつかってしまい、これでいいのかなと心が何となくざわついている自分がいる。
いや俺だけじゃないぞ! 「自然回帰」のキーワードはよく耳にするし、最近の流行りでいくと焚火やソロ・キャンプなど、自然に身を置く、不便さを楽しむ、そんな人が増え始めている。
ひょっとしたらこれは単にトレンドではなく、退化に歯止めをかけようとする人類の本能がそうさせているんじゃないかと勝手に紐づけて納得している。
(春よ来い 青蛙)