定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
学生時代、有志で立ち上げたフットサルサークルに入っていたことがありました。
強くはありませんでしたが、小さな町規模のトーナメント優勝を本気で目指していて、楽しいながらも厳しい先輩の元、引き締まった空気でやっていました。
次第に結果にもつながり、勝てることも多くなり、やり甲斐が出てきました。
しばらくして、後輩が入ってきたのですが、厳しめの空気が苦手だったのか、やめていく人がちらほらと。
そうこうしている間に先輩達も忙しくなり離脱。
次の代になったのですが、次の代は「厳しくしていくと若い子がやめていくし、気楽な楽しい雰囲気にしよう」という方針を取りました。
それから、少しの間は良かったのですが、次第に以前あった厳しさや、本気さがなくなり、緩くなっていきました。
サークルの当初の目的はなくなり、気楽に集まって楽しくやるような集団になっていきました。
私は自分が思う楽しさややり甲斐が見いだせなくなり、途中で脱退しました。
その後、聞いた話によると、初期メンバーはほとんど離脱して、残った人もそのサークルにこだわりもなく、
別のサークルに吸収されたような形で解散となったそうです。
「前は強かったのにね」と言われてたそうです。
楽しいことはいいことだと思っています。
楽しさはモチベーションを上げたり、パフォーマンスを上げてくれますから。
もともと能力の高い人の集団であえれば、楽しいだけでも十分強いと思います。
しかしこのサークルの場合、頑張らないと勝てないレベルだったので、楽しさだけでは難しかったです。
そして、今思えば「楽しくやって勝とう」ではなく、
「楽に」「気軽に」が前面に出てしまい、もともとサークルの目標だったトーナメントは度外視になったかなと思います。
練習もどうしても自己満に陥り、周囲のレベルに取り残されてしまったのかなと思います。
何か目標を掲げている以上、その組織には楽しさと厳しさは両方とも大事だと思うのですが、
何となく、このところ厳しさだけを槍玉にあげて排除する社会になっているような、
気が付いたら外の世界に食われてしまうような社会になっているような気がしてしまうのは、この学生時代の経験のせいと片づけていいものやら、何やらな思いを抱いております。
(つかさ)
22年前ですが、紛争が終わって間もないコソボに1ヶ月ほど滞在したことがあります。
街は破壊しつくされ、あちこちに急造の集団墓地があり、子どもたちが遊んでいた広場にはガラス破片やがれきが散乱したままになっていました。
交通の各要所には、戦車や重火器が配備され、治安は世界中から展開されたPKO部隊の軍事力によって守られていました。
それまで、私は「軍事力は一切不要」と思っていましたが、侵略された地域を守っているのもまた軍事力でした。
その恩恵で私の滞在も無事終えられたこと。あるいは、軍事力は不要だから攻撃されても反撃しないとはとても言い切れない自分に、「一切不要」という捉え方がいかに浅いものであったかを思い知った瞬間でした。(だからといって、今、軍事力が必要と思っているわけではありません)
あちこちで、「この子たちを助けて欲しい」と懇願され、悲惨な写真や映像を見せられます。
その度に胸が締めつけられるような思いがしましたが、当時、通訳をしてくれていた専門家からこう言われました。
「大人たちが、(ある意味、子どもを利用して)支援を求めるのは、常套手段だから、その一つ一つに惑わされない方がよい」
今、ウクライナ報道で、子どもたちの映像がたくさん流れてきますが、その度に当時の通訳の言葉を思い出します。(ウクライナの子どもたちが利用されているという意味ではありません)
話は変わりますが、仕事で保健所の業務支援に行く機会がありました。島根県は感染者から行動歴を聞き出し、積極的にPCR検査を実施しています。保健所の業務量は本当に大変なものでした。
しかし、人口の多い都道府県では、そこまで対応していないところが増えてきています。
最近、感染者数の減少傾向が報道されていますが、以前は検査で捕捉できていた感染者を追わないわけですから、本当に減少しているかどうかはわかりません。
私たちは、様々な場面で物事を捉えて判断していきますが、その根拠となる情報量や視点の複雑さや難しさを改めて痛感した最近の出来事でした。
(和)
島根にずっと住んでいても知らないことってたくさんあるなーと、ふるさと島根定住財団の仕事に就いていつも感じています。
お仕事でいろんな農家さん、企業さんとお話をさせていただく機会が多く、改めて知ることが多いです。島根にそんな所あるの?そんな面白いことやってるの!?そんな人いるの!?といつも驚きの連続なのです。
そんな中で教えてもらったのが、とある山間部の集落で作られているゆず辛子です。その集落に住んでおられる方々でせっせと生産し数に限りもあり、おそらくその町のJAでしか取り扱ってない商品です。
とっても美味しいよと勧められて帰り道に購入し、試してみると確かに本格派!!
ごくわずかな量で大きな存在感!!
肉に乗せてサッパリと。白身魚に合わせると素材の甘味を際立たせてくれる。
冷ややっこに乗せて、いつもと違うピリ辛で味わうのもよし。
これからも自分のお気にいりを一つ一つ、増やしていきたいなぁって思います。
(りんご)
サンカヨン(3or4)?ではありません。(すいません。おやじギャグをかましてしまいました。)
サンカヨウ(「山荷葉」)は、メギ科サンカヨウ属の多年草で、北海道や本州の山地~高山帯で見られる山野草のひとつ。
山陰では大山・氷ノ山、そしてわが島根の大万木山でも見ることができ、5月中旬が花の見ごろだとか。百聞は一見に如かず、まずは行ってみようということに。
GW後半、定住財団の関係人口マッチング・交流サイト「しまっち!」(https://shi-match.jp/)にもプログラム掲載いただいている(一社)飯南町観光協会さん主催の登山イベントに参加しました。定員25名満員御礼の大賑! 4グループに分かれ、各グループにネイチャー・ガイドさんが引率。道すがら山野草の説明を受けます。「これは、○○という名前、〇〇のところが食べられる、○○にすると美味しいよ」など。(殆ど、忘れてしまいましたが…。)コシアブラの天ぷらをあてにビールを頂いている姿を頭に浮かべ、生唾を飲み込みながら山頂へ。
山頂で持参の昼食を摂った後、サンカヨウの群生をしばし観察。時間をかけて山に登ったご褒美に見ることのできる白い可憐な花。想定以上に感動。雨に打たれると、白い花が透明になるとか。来年は小雨に来るのもありかな。いや、その前に紅葉も楽しまなくては!
密を避け美味しい空気と新緑・山野草を楽しみながらゆったりとした時を過ごす、おまけに歴史の勉強も(たたら製鉄が盛んだった頃、伐採したブナを積雪を待ってふもとに滑り落していたそうな)
改めて島根の良さを感じ取ることのできるトレッキングとなりました。大万木山に限らず未踏の山々・景勝地が県内に多くあるので、あれやこれやとプランを練る今日この頃です。
(青蛙)
田植えがあちこちで進められています。
この季節になると田んぼに水がはられて涼しそうな風景が広がります。そしてカエルの大合唱が聞こえるようになり、梅雨の時期を迎えます。
私はこうした中山間地域の棚田が広がる風景が好きで、よく水彩画に落とし込んだりしています。
さて、6月は「水無月」と呼ばれています。
暑い時期を迎えて水が枯れる月なのだ!…という説もなるほどと思わせますが、私は「水の月」という説がシックリくるような気がしています。
「みなつき」の「な」は「の」にあたる連体助詞「な」であるとする説です。「神無月」の「な」と同じ用法だと思っています。「神無月」は「神がいなくなる月」ではなく、「神の月」だと私は思っているのですが…。さて、「水無月」の頃は旧暦では梅雨の末期ごろにあたる時期なのでそう思うのです。
田んぼに水がキラメクこの時期をしばし清涼感を感じながら過ごしていたいと思っています。
(Friday)