定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
コロナが少し落ち着き“3年ぶりに開催”されるイベント。
夏は松江水郷祭で感動、そして先日、松江水燈路に出掛けてみました。
「静かな光」「希望の光」、松江城から塩見縄手周辺に灯りがともされ、
光に照らされた風情のある夜を楽しみました。
手作り行燈コンテストのテーマは「松江らしさ(地域特産や観光名所)」
「島根の魅力(神話や名所)」をテーマにしたものでした。
それぞれ表現、またアーティストの方の作品は見応えあり、立ち止まって
見入ってしまいました。
手持ち行燈も風情があり、屋台で並ぶ人達、行きかう笑顔と会話。
夜の灯りは、心まで燈してくれました。
(繋)
先月の9月3日に、財団は設立30年を迎えました!
私は今年、財団の職員になって、20年を迎えました!
20年前に、10周年の記念誌を使いながら、財団業務の説明を受けたのが、昨日のことのように想い出されます。10年の歴史を聞いた時でさえ、「すごい歴史の積み重ねだな~」と感じたものです。ましてや、これからの新人さんは30年の歴史をパッと聞いても、なかなか飲み込むのも大変だろうなと思います。
私の在籍した20年だけでも、本当に色々なことがありました。きっと、これからも色々なことがあるのだと思います。
毎年、マスメディアさんや県外の同業種の皆さんより、沢山の取材や視察、お問合せをいただいています。最近一番嬉しかったのは、卒論で全国の移住施策を調査している大学生さんが「全国の移住支援している団体を調べていますが、しまね定住財団が一番、私たち若者に刺さるようにこだわって事業を展開したり、コンテンツ一つ一つのクオリティ高く情報発信されていると感じています。」と言っていただいたことです。
「ちゃんと、伝わっているんだ~涙」と。一人一人の職員とハグしたいくらいの嬉しいフィードバックでした。
「そんなことで喜んでいていいのか?」とどこからともなく天の声が聞こえてきそうですが、現状に満足せず、一つ一つ誠実に、チャレンジ精神を持って、前進したいと思います。
先日、管理職でお小遣いを出し合って、「島根のために」と心を尽くしてくれている定住財団の仲間に、感謝の気持ちをクッキーに込めて配りました。
本当に、組織を支えているのは「人」だと痛感する毎日です。
定住財団、これまで、本当に多くの方に支えていただきました。
これからも、多くの方に愛し愛され、必要とされる集団でありたいなと思います。
(竹矢っ子)
コロナ禍になってからすっかり運動不足です。(もう3年近く経ちますが…)
色々な制限がかかる中で、正直何をする気にもなれませんでした。
今まであまり自身の人生の振り返りをしてこなかったのですが、
思い起こせばいつの日もスポーツをしていた気がします。
スポーツをしなくなってから、単純に体力がなくなっただけではなく、
人と関わることが少なくなったり、新しい人間関係が生まれにくくなった気がします。
そうしているうちに、なんだか活力がわかないなあという気持ちになって、
最近は少し気持ちが沈んでいたかもしれません。
そろそろ限界なので、なにか始めたいと思います。
前から興味があったあのスポーツに挑戦してみようと思います。
新たに挑戦することがあるとわくわくする気持ちが湧いてきますよね。
わくわくしている時は頭の中で未来の理想の自分を想像しているので、
気持ちも前向きになる気がします。
これからもわくわくすることを探しながら生活したいと思います。
(とっとこ公太郎)
9月30日。
令和4年度も、折り返しです。
4月からのこの半年、やっぱり「コロナ」に振り回された半年でした。
ここのところ、ちょっと落ち着いてきたような(と言っても、以前に比べれば感染者数はすごく多いのですが)感じで、様々なイベントが対面で開催されり、withコロナに舵を切りはじめたように思います。
定住財団でも大阪でイベントを開催しましたが、やっぱり、面と向かってお話できるというのは、やっぱりオンラインと違っていいものだな、と思いました。
年度後半の半年は、定住財団でもいろいろなイベントが目白押しですが、withコロナ中で、人と人が触れ合える機会を大切にしていきたいな、と思います。
ただ、マスク、はやく外したいなぁ。。。
(一涼)
私は、今年で東京都から島根県へ移住して10年になります。
東京の実家を離れる時に「10年は頑張るぞ!」という気持ちで出発したのが、遠い日のようです。
それだけ、島根での暮らしが色濃いもので、多くの苦い失敗の記憶と共に、それ以上の楽しく心温まる思い出もたくさんできました。
そんな私が島根県へ来るきっかけになったのは、遡ること、15年。
当時、絶賛自分探し中だった大学生の私は、国内外問わず、お金と時間が許す限り、一人でどこへでも出かけて行きました。
文字通り、ヒッチハイクや野宿をしながらの一人旅です。笑
その一つに島根県の益田市や海士町を訪れるツアーがあったのです。
それも、手繰り寄せるように繋がったご縁の連続でのツアー参加で、今でもその時の感動が蘇る体験でした。
そして、その当時、そのツアーを企画していた方が、こんなことを言っていました。
「100人、過疎の地域に若者を連れてきたら、1人くらいは移住するかもしれない。」
そんな言葉を聞いて、「移住って、それだけ難しいものだろうな」と感じていたのですが、まんまとその100人のうちの1人に自分がなっていました。笑
そして、その方が、海士町で最近公演をしたのだとか。
海士町に住む友人が、連絡をしてくれて、時の流れの早さを感じると共に、出発地点を思い出した心地です。
今、15年の月日で出会った方々や地域のおかげで、巡り巡って、100人の参加者を募るイベント等の企画や相談対応の担当をしている私ですが、いつも、この中の1人は移住してくれるかもしれない、と思っています。
我ながら、ちょっとドラマティックなストーリーですが、日々の業務の頑張る原動力はここにあります。
(ひつじ)