定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
自分にとって心が落ち着くのはどんな瞬間があるか考えてみた。
まず思いつくのは、青空を見ながら散歩すること。
そよ風を感じながら流れる雲を見ていると穏やかな気持ちになれる。
真っ直ぐ伸びる飛行機雲を残しながら飛んでいく飛行機を見るのはワクワクする。
どこへ向かっているのか想像するだけで、日常とは違う刺激を受けるような気がする。
はるか上空を周回している国際宇宙ステーションもなかなかいい。
日没後の黄昏時、太陽光を反射しながら移動する、どこか現実感の薄いその軌道を追っていると、
地球や宇宙の壮大さに触れているような感覚を覚えることができる。
若干、現実逃避気味だなと感じつつも、結構日頃から上を見上げているもんだなあと気づいた。
忙しかったりすると余裕がなくなりがちだが、そんな時こそ意識して上を見てやっていけたらいいなと思った。
(きーとす)
ノイズキャンセリングイヤホンを初めて買った。
耳につけて機能をオンにすることで、周りの音がほとんど聞こえなくなることに感動した。
周りの雑音の波形と全く逆の形の波形を同時に耳にぶつけることで、限りなく平らな波形になって音が消える仕組みのようだ。
これで音楽を聴けば、周りの雑音に邪魔されず音楽に集中できるらしい。
実に画期的だが、自転車などでの使用はこれまで以上に禁止を強調してほしいものだ。
仕組みは違うが、人間だってこの機能を持っているではないか。
夢中になってたり、集中しているときは周りの雑音はほぼ聞こえないかのように気にならなくなる。
それどころか、やかましい環境の中でも聞きたい音源だけをチョイスして聞き取る能力も備えている。
人間の聴覚の素晴らしさを実感する。
同時に、例えば補聴器とか騒音に悩む場所とかでこの機能を応用すれば、社会はもっとハッピーになるに違いない。
(蝮)
民放テレビをほとんど見ない私は、当然ながら、昨年話題になった「VIVANT」も見ていませんでした。
島根県が結構出ていたと聞いて、話題についていけないのも良くないかなあと思って、放送終了後に、Netflixに加入して、休日2日間で完全制覇しました。
Netflix加入は、最近の僕を、テレビ中毒にさせたのでした。
Netflixは、新旧たくさんのドラマが放映されていたのでびっくり!
今更ですが・・・・
娘から絶対見ると面白いからと勧められて、またまた、流行遅れで、「愛の不時着」を視聴して、はまってしまいました。
晩酌すると眠くなるので、晩酌しないで毎日2話ずつ、先ごろ見終わりました。
見られた方はご存じだと思いますが、後半からは、涙なしではいられませんでした。
好きなドラマを、いつでも見ることができる時代になり、この中毒は、当分収まりそうにありません。
(いかくん)
2024年になって、もう少しで3か月になろうとしています。
年を取ると一年が早く感じるのだと聞いたことがありますが、まさかここまでとは…。
休みの日に「そういえば最近読書をしていないな…」とふと思いました。
昔から読書が好きで、中学・高校どちらも図書関連の委員会に入っていました。
大学の時もほぼ毎日図書館に行き、本の場所をある程度覚えていました。
司書さんに顔を覚えられて「今日は何の本を借りるの?」とか「どういう本が好き?」みたいなことをよく聞かれました。
題名や背表紙で気になった本のページを適当に開いて、
最初に目に入った文章を見て読むか読まないかを決める。
これが私の本の選び方です。
絵柄(イラスト)や本の厚さは特に気にせず、なんとなく気になって手に取る感じです。
好きなジャンルはなく、ミステリー・SF・ホラー・恋愛など基本なんでも読みます。
ちなみに…
アニメと声優が大好きな私は、声優の声を当てはめて台詞や文章を読んでいます。
「このキャラはこんな性格だから、この声優が似合うかな」
「もしこのキャラの声優が○○さんなら、こういう演じ方をするかな」
「このキャラの声優を○○さんにするなら、こっちのキャラは○○さんかな」
みたいな感じで考えながら読書をしています。ちょっと変わっていますよね。
そのため、恋愛系の本を読むときはいつもテンション高めです(笑)
久しぶりに図書館に行って、また読書がしたいなと思いました。
(ノア)
先日実家に帰った際、久しぶりに小学校へ行ってみた。
実家に帰ることはあっても小学校へ行くのはずいぶんと久しぶりだった。
犬とともにゆっくり通学路を歩いてみた。
建物がなくなり更地となっている所も多いが、いたるところに思い出が残っている。
昔からある梅の木は大きくなりきれいな花を咲かせていた(あの頃は、花には全く興味がなかったが・・・)、友達と遊びながら時にはけんかをしながら通った道には数々の思い出が残っている。
ひとりでキョロキョロ、笑みを浮かべながら(怪しい人だったかも・・・)の散策となった。
もう数十年前の事だが鮮明に思い出がよみがえってきたので不思議だったが、有意義な一日を過ごせた。
(ちゃちゃまる)