定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。
昨日は、長男の大学の入学式のため、上京してきました。
生まれ育った島根を離れ、目をキラキラさせ、巣立ちました。
私が仕事に手が抜けないタイプだったので「きっとこの先、寂しい思いをさせることが多いかもしれないから、逆になるべく手をかけて育てる!」と、謎の自分の子育てモットーを持ち、おっぱいは母乳で、おしめは布おしめ、口にするもの安全で手作りのものを、と、できる限り頑張りました(長男あるあるかもしれません)。お喋りできるようになると、島根県内の色々な場所やイベントに連れ出し、人に会わせて色んな体験をさせました。国内外の旅行も数え切れないほど連れて行きました。井の中の蛙にならぬよう、島根の良いところはもちろん沢山あるけど、他の地方にも良さがあること。都会にしかないもの。自分の目で見て感じたことを大切にして欲しいと思っていました。
小学高学年の頃には「東京は楽しいけど、住むところではないな。たまに行って遊ぶくらいがちょうどよいわ」とおじさんみたいなことを言いだした時には、「ふるさと島根定住財団の職員の子育てとしては100点ではないか」と一瞬思ったこともありました(過去形)。
しかし、その後、中学生になり、高校生になると、どんどん友達の輪も広がり、見聞きする情報も増える中で、興味があること、挑戦してみたいことが、沢山増えていっていることを感じていました。自分がこれから何を成しうる人になりたいか、少ない経験値の中で、彼なりに懸命に考えていました。
「俺は東京に行く」と言い出した時には、何とも言えない気持ちになりました。しかし、この3月、関東地区の広域な学生委員会に応募して、仲間づくりを果敢に行い、バイト候補先に面接に行き、入学前からバスケ部に入れてもらうなど、入学式前から青春を謳歌させようと一生懸命な姿を見せてくれました。3/31に開かれた新入生交流会で自分は委員という立場で参加し「“島根って砂丘のとこ?”とか普通に言われたのが嫌で、島根の美味しいものや行くと良いところとかしっかりプレゼンしたら“島根に興味でた”ってみんな言ってくれた。島根で育ったからには、自分にできることはしたいと思ってる」と言ってくれました。将来の夢は何やら大きいようなので、島根にUターンしてくる日がくるのかは微妙なところではありますが、島根プライドを胸に、自分の道を歩んで欲しいです。
県外に出た若者がどうしたら島根に夢と希望を持って帰って来てくれるのか。義務ではなく、自分の人生にとってプラスになる判断として。親として、財団職員として、これからも、できるかぎりのことをやっていきたいと改めて心に誓った、甘酸っぱい4月です。
(竹矢っ子)
ついこないだ職場を卒業する仲間との別れを惜しんだばかりなのに、今日からは新しい仲間を受け入れ、内部の人事異動もあった新しい組織として切り替えてスタートしていく。
最初が肝心とよく言うが、マラソンのようにスタート直後からオーバーペースになると結局良いことはない。
新しい環境の中で自分のあるべき立ち位置を何となく感じつつ、ぼちぼちとエンジン出力を上げていくくらいで良いのではと思う。
今年度末に、実績や成果を目標通りもしくはそれ以上に出すことができたらそれでいいのだ。
そのために大切にしたいことが2つ。
1つは、今の取り組みが最終ゴールに向かうまでのどのへんに位置しているかを常に意識すること。
都市部の人がしまねに移住を決めてくれることを最終ゴールとするチームであれば、今準備しているイベントはそこに向かうプロセスのどこら辺にあるかが分かれば、イベント参加者にはどの程度の話が効果的なのかがわかり、参加者の気持ちとのミスマッチも減るはずである。
2つ目は、チーム内外でのコミュニケーションを密に取り続けること。
財団内にはひとりで完結する仕事はほぼない。
いや、あるかもしれないが、良い結果を出すためには異なる視点がマストだ。
雑談も程度をわきまえればコミュニケーションを円滑に行うための潤滑油として推奨する。
令和6年度も風通しの良い職場を維持し、現場感を第一に業務を遂行していく
(蝮)
とある先輩から我々の仕事は「交通整備」であるとお聞きしたことがあります。
ここ数年は「交通整備」を意識しながら仕事をしてきました。
もちろん全ての仕事がこれだけしてればいいと言う訳ではありませんが、
結果的に、良かったかなと思うことが多かったので今後も続けていきたいと思っています。
この職場では、多様な意見が飛び交い、みんな違ってみんないいなと思うことがよくあります。
この「いいな」と思う意見をどうまとめて、より良く進めていくかが交通整備の仕事になります。
出た意見全てを実行できればこれ以上のことはありませんが、時間・労力・コストから考えると
なかなかそうはいきません。
みんなができるだけ納得する形で方針を固め、上手く回していくことは、経験と知識が試されるなと思います。
進む方向を間違えないこと、エラーが起きた時に迅速に処理すること、ルートから外れていたら元に戻すこと等
日頃から俯瞰して物事をとらえ、チームが上手く機能し、ゴールに到達することが交通整備の成功といえるかなと思います。
いよいよ新年度が始まります。
また新しい旅が始まるような気持ちです。
皆様、5月病にならないように、ぼちぼちやりましょう。
(とっとこ公太郎)
先日は父の命日でした。ずっと天気が悪かったのですが、この日は晴れて絶好のお参りと掃除日和でした。
まずは坂の上にあるお墓までの通路を、竹箒と熊手を使って動線を確保(箒と熊手を担いで登るだけで既に息切れが・・)。「何か色々気になる」と思ってしまい、崖をよじ登って折れた杉の枝を集め、枝の下きになっているフキを救出してみた(本当は日陰のままが良かったかも?)。その後、一旦坂の下にある家に花と水を取りに戻って再びお墓へ戻り、掃除して花を生ける。
ここまでは予定通りの行動でしたが、さらにお墓の横にある夏ミカンの実も収穫したくなってしまった。ただ、新たに設置した猪柵があるため手が届かず、柵の一部を少々分解して侵入。今年は実の出来が良くなかったですが少し収穫することが出来きました。
お墓参り以外は一人作業だったため、冬眠明けのクマが背後にいないかずっと気になり、終始音楽を掛けながらの作業でした。なので途中、坂の下から母が何か叫んでいましたが全く聞こえず・・。また試しに杉の枝をツンツンすると、目に見えるほどの花粉が!見ただけでもくしゃみが出そうなくらいでした。
これまでは父がお墓周辺の掃除や片づけをしていて、これから私一人でどこまでできるのか…。とりあえずは、救出したフキの成長具合や夏ミカン、発見した野イチゴ生息エリアを守りながら、できることからやっていこう。
(フル)
『一月は行く、二月は逃げる、三月は去る』と言いますね。
私のこの3か月間も業務が立て込んだ結果、一人じゃどうにも手が回らなくなり仲間に助けてもらい、家でも家族に助けてもらい、あっという間に過ぎてしまいました。
周りの協力があったからこそ何とか乗り越えられたので感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、我が家の次男くんはあっという間に6年過ぎ小学校の卒業式を迎えました。
いろいろ問題もあり先生方にもご迷惑をおかけした小学校生活でしたが、無事卒業することができたのは先生方のおかげでした。
次男くんはきっとこれから反抗期もあるだろうけど、周りへの感謝は忘れず過ごしてほしいものです。
(団子)